暗転。 まず聴覚が戻ってくる。 「お待たせいたしました。ハニートーストのお客様?」 「はい〜、こっちです」 「あ、注文いいですか。ドリンクバー単品で」 「はい、少々お待ちください」 喧騒とささやかなBGM、音響から空間が認識できるようになってくると、嗅覚も戻ってくる。 乱雑な食材のにおい。なかでも甘ったるい匂いが強い。 「丁度揃ったようだな」 現実の声帯を確認して、目を開けた。 正面に見えたのがスーツ姿の草薙。コートをたたんで席に落ち着いた様子だ。隣の御子神はすでに夕食を済ませ、分厚いトーストにアイスを山盛りした、デザートらしきモノをパクついている。オレの隣の徳間は爆睡中だ。 「あ、すみません、飲み物をとってきます」 返事を待たず、草薙が足早に席を立った。オレと同じくそれを見送る御子神が、フォークをくわえながらにこやかな顔でこちらを見る。 「いや〜、しかし田中さん、アタシたちってどう見えるんでしょうね」 午前2時をすぎたファミリーレストランのボックス席を占領する、若い女二人と、オヤジが二人。 まぁ、残業休憩中の同僚たちといったところか。だが、たとえオレたちが怪しげな風体であったとしても、さほど気にされないだろう。 普通、深夜のファミレスなんざ閑散としたものだが、今夜は浮き足立った空気が支配している。 「外が気になって、それどころじゃないだろうからな」 皮肉混りに言うと、窓際席の御子神は釣られるように外を見た。 ファミレスは大通りに面していて、通りの上を都市高速が走っている。建物の一階が駐車場で、客席や厨房は二階にあるのでちょうど高速と視点が同じになる。 とはいえ、通常なら防音壁にさえぎられ、車の姿は見えないところだが、今、都市高速を走るのは大型車両ばかり、そのどれもが防音壁から異形を覗かせる特車ばかりだ。 店内に視線を移した御子神は軽く周囲を見回して「それもそうですよね〜」と、納得した風で食事に戻った。他の客もしきりに外をうかがっている。 黄色回転灯を明滅させながら、荷台を幌で覆った輸送車が続々と通過してゆく。 日付も変わってしまったので、すでに一昨日の出来事となってしまった、在日米軍基地同時爆破テロ。 これを受けて日本政府は自衛隊の治安出動を発令した。米軍基地内という限定地域へのテロであったが、今後想定しうる事態に、現行警察力では十分に対応できないとの見解からだ。 緊急の幕僚会議が昨日早朝に開かれ、治安出動の公表と同時に各地の自衛隊が動き出したのが夕刻。首都圏と、次いで都市機能の集中する札幌、名古屋、大阪、福岡を"警護対象"として大移動が始まった。 「中部方面隊か。ここだけが警護担当が二箇所だからな。分が悪い」 今回の治安出動で主に動員されるのは陸上自衛隊だ。陸自は5つの方面隊、北部・東北・東部・中部・西部、に分けられている。中部方面隊は静岡以西の本州が担当地域であるから、札幌担当の北部、首都圏の東部、福岡の西部といった、他の方面隊と異なり、名古屋・大阪を担当することになる。 部隊の移動は当然陸路が主体となる。昨日夕刻より、名神高速道路が全面通行止めとなり、以降、中国自動車道、近畿、北陸と次々に道路封鎖された。通行規制は道路に止まらず、東海道本線も運休され軌道運送が行われている。 ここ大阪などは都市高速である阪神高速道まで封鎖され、池田ジャンクションと新大阪駅から流れ込む部隊の中継を行っている。 「それだけじゃないですよ。御殿場の戦車大隊の一部が遠征部隊に編成されて向かってます」 御子神が補足してくれる。古巣とはいえコネクションはまだ残っているようだ。 とはいえ、東名か中央、もしくは両方が規制されているということか。 昭和初期に幹線道路の充実による日本の要塞化をぶった政治家がいたが、まさしく半世紀をすぎても機能することが証明されたわけだ。 「数時間動くのが遅れていたら、ここまでたどり着けませんでしたね」 話を途中から聞いていたのか、草薙が言いながらグラスをもって席につく。 「そうだな、自衛隊にしては早い対応だった」 限定地域とはいえ、国際的背景をもつテロが日本で発生するのは史上初の事になる。戒厳令スレスレの自衛隊出動がある可能性は予想していたが、通勤ラッシュを避けて深夜からの移動になると踏んでいた。部隊の運用となるとそれだけで法外な費用がかかり、ましてや経済活動への影響までないがしろにするとは思えなかったからだ。 「これで何も起こらなければ、幕僚のクビだけじゃ済まないな」 苦笑してタバコに火をつける。 そこへ御子神が、いつになく真剣な表情で割って入ってきた。 「それだけなら別にいいんですよ。国防がお仕事なんですから。でも、御殿場の大隊っていえば東部方面隊の要なんですよ。一部とはいえ、それを遠征させるってのも変ですし、あまりに大阪への比重が高すぎるんです」 いささか憤慨した様子で御子神は続ける。 「で、大隊の抜けた穴をどうするかっていうと。あ、これは通轄の友達から聞いたんですけど。東北からシフトして、これまた東北の分を北部がシフトして部隊補填しちゃってて、コレっておかしいんですよ」 少々日本語もおかしいが、彼女の言いたいことは分かった。 「北か」 「そうです。なんだかんだと太平洋側が米軍の世話になっちゃってるのは、この際仕方ないんですけど、自衛隊の本来の目的といってもいい日本海対岸への防衛がおろそかになっちゃってるんです」 と、まくしたてると納得できない表情のまま、フォークで突き刺したトーストを口に放り込む。 だがこちらとしては、むしろ辻褄があう。 「米軍の動向とリンクしているな」 そこへ今度は草薙が口を開いた。 「田中さんが横須賀で接触した相手が割れました。ロシア地上軍の将校でした」 脳接を通じて転送した視覚情報の解析は終わっているようだ。 「マリア・ザルノフスカヤ少尉、レニングラード軍管区、第二独立特殊任務旅団所属。平たく言えばスペツナズですね。例の生体部品が実戦投入された最初の人物のようです」 「ああ、昼の駅前の件でもロシアが関与している裏がとれた」 なんというか、外国の女は物騒なのが多いらしい。 「米軍基地襲撃に続いて大阪で爆破テロとはな。大阪湾の鼻先で米軍が大規模演習をやろうというこの時期に、だ」 「ここが本命であるのは確かですね」 草薙が嬉しそうに言った。 「だが、内調は本件を静観する方針だ。後手にまわったからな。ならばいっその事、一連の事態が収束する段階で介入して出し抜いてやろうというハラだろう」 とりあえずの連絡事項を告げて、タバコを消す。 入管をテリトリーとする公安すら出し抜かれては、内調などもはや蚊帳の外だからな。無難な判断だといえるだろう。 「しかし、オレは無視する」 そう、確かに見当違いかもしれない。周囲の動向が異常で、そのせいで浮き足立っているだけなのかもしれない。だが、収束を待っていては遅いと感じるのだ。 これが終わるとき、なにかが一変している、そんな気がしてならないのだ。 「メガフロートへの調査は、内調が介入する段階で有効な材料になるだろうと考えるからだ」 もっともらしい口実をでっちあげてみる。これはこれで嘘ではないのだが。 「とはいえ、ここからは正規任務でなくなることに変わりない」 爆睡中の徳間の脚を蹴って起こす。 「よってキミ達に確認する。オレに同行するか否か。当然、任意だ。同行しなくてもペナルティなどは一切ない、逆もしかりだ」 これに即応したのは草薙だ。 「実態把握せずに取引で優位にたてるとは思えません。田中さんに同調します」 当然のように言い切るとグラスを傾ける。 次いで徳間が欠伸混じりに答えた。 「俺が娑婆に出れたのは田中さんのお陰だし、まぁその分のペイはしてるつもりだが。といっても田中さんの影響下から離れるってのは免罪符が消えるってことだからな、選択の余地なんてねぇ」 と区切ると、ごつい体を前かがみにして、不敵な笑みを浮かべた。 「でもよ、この業界にいるヤツらってのは、みんなそういうもんだろ? 普通の生活じゃ得られない刺激に憧れる一面は必ずあるハズだ。たしかに前の業界もそれなりに刺激的であったけどよ、規模も、流動してる資金も、この業界を知っちまったら子供騙しとしか思えない。そん中で今回のは一等派手なんだろ? よく知らないが地上最強の軍隊だって巻き込まれてるんだからな。乗らない手は無いぜ」 何か言いたそうに顔をしかめる草薙を置いて、ヤクザ崩れの大男に別件を確認する。 「そうだ。移動の手配はどうなった?」 「彼に任せているんですか?」 草薙の非難めいた口調に動じる事なく、徳間は軽く答えた。 「店の品は使えないからな。こういうのは俺の領分だ」 この男は、組事務所に居ようが政府機関に属していようが無関係にこういう表現をする。物は当然、人材や情報も「商品」として扱うのが、以前の仕事からの癖だ。 図体から武闘派と思われがちだが、むしろ非合法取引の仲介や斡旋で成り上がった男である。 「渡りはついてる。合流は朝だが、高速艇だし、夕方には現着できる」 「あ、あの、アタシも行っていいですか?」 残された御子神が、消え入りそうな声で言った。 「任意だからな」 一応ありていに答えて間を置く。 「だが、同行するなら本職に戻ってもらうかもしれないが、いいのか?」 草薙がこちらを睨む。明らかに当惑している。 当の本人は堅い表情でオレを正面に見据えて、しばし黙考する。 「それは、望むところです」 「御子神さん、本当に無理しなくてもいいんだよ? 正規の職員でもないんだし」 草薙が諭すように止めにはいるが、御子神は穏やかに微笑んだ。 「いいえ、アタシ、もしかしたら嬉しいかもしれないんです」 わだかまりをふっ切るように、声は明るい。 逆にオレはその潔さに当惑してしまう。つまりは、彼女が若いということなのか。 「分かった。期待している」 「はいっ」 「お話しはまとまったかな?」 見上げると、さきほどから隣のボックス席で待機していた二宮が、背もたれ越しにオレを見下ろしている。 「装備類はいつものバンにあるから行ってきて」 そう言ってキーを徳間に投げると、今度はオレを見下ろした。 「で、田中クンはこっちへ。最後の調整するから」 メガフロートへの潜入装備の調整やら運搬のために、無理に連れてきたのだが、腕のメンテまで請け負ってくれるとは、正直ありがたい。 隣のボックス席へ移動する。徳間と御子神は出口へ。だが草薙は残った。 「田中さん、何故誘導したんですか?」 二宮の向かいに座り、腕を出す。いつものことながら、血圧検査でも始まりそうな間抜けな光景だが、草薙の表情は険しい。腕を組み、オレの返事を待つ。 「今回は御子神が必要になる公算が高い」 「彼女に何をやらせるつもりなんですか」 今後の円滑な作戦行動を期待するなら、どのみちオレから言うべき事だったな。 「丁度いい。だが、その前に確認しておこう。ドキュメントは手元にないが、某国のとある陸戦部隊の検死報告だ」 それは市街地に駐留中の敵対する小隊を発見した当該部隊が、交戦した時のものだった。 当該部隊員の遺体が市街地の二箇所に固まっていたことから推察されたのが、部隊が挟撃作戦に出たことだ。 地理的に視界の開けた個所で発見されたのが囮と推察され、その反対位置は本隊ということになる。 死因のほぼ全てが銃傷によるもの、これは当然だが、弾種による分類は明確に状況を示唆していた。 5.56mm弾による被害がほとんどである囮に対して本隊は7.62mm弾でやられていた。 5.56mmは数値のとおり7.62mmよりも携行性を考慮した弾で一般的なアサルトライフルで使用されるのに対し、7.62mmは射程が長い反面、重量があるため狙撃銃や機関銃に使用されている。 「この、挟撃された敵対部隊というのが御子神の所属していた小隊だ」 90年代後半以降、PKO――平和維持活動とPKF――平和維持軍の境界が曖昧になって久しい。実際、戦場で非武装が成り立つはずもなく、このような事態は想定されて然るべきだった。 練度は充分だったかもしれないが、相手は現地の実戦慣れしたゲリラだ。結果的にゲリラを撃退したとはいえ、負傷兵二名と御子神を残して、小隊は事実上壊滅していた。 「それは」 言わんとすることが分かった様子の草薙は、そこから導かれる結果が信じられないまま続ける。 「本隊は御子神さんが撃退したというんですか」 「そういうことになる。狙撃手は御子神だけだったからな」 そもそも狙撃手の絶対数は、どの軍隊でも足らない。 単に射撃の名手というだけで狙撃手にはなれない。部隊を離れ、単独行動する上でのレンジャー的スキルや戦局を俯瞰しうる分析能力、総合的に求められるスキルが高いためだ。 そのため小隊によっては狙撃手が配置されない場合すらある。 「オレが見たのは現地のレポートだが、国連も裏付けしているはずだ。日本からの派遣で最悪の被害だったからな」 狙撃手が扱う銃も弾丸も、相応に精度の高い高級品だ。そのため供給量も絞られるわけだが、それでも人材が追いつけていないのが、自衛隊の現状だ。 つまり狙撃手として充分な技量のない兵隊が狙撃銃を担いでいるらしいのだが、御子神の戦績は、自衛隊の現状を無視して破格である。「趣味のクレー射撃が高じて入隊しちゃいました」などという小娘の所業とはにわかに信じられなかった。 だが、現地に追加レポートを依頼したものの、結果は彼女のポテンシャルを裏付けるだけだった。 それはともかく、草薙の懸念はこの際、明確に払拭しておいたほうがいいだろう。 「草薙、おまえが見聞きしているのは、御子神が帰国してからの話だろう。だがな、小隊の連中に暴行されていようが、そんな風聞でSATに島流しされていようが、それらは全く意味が無い」 実際、海外の軍隊ではその手の訴訟はいくつもあるから、一概に風聞と言い切れないだろう。だが要点はそこではない。いままで放置していた話題であったが、今回はそういうわだかまりが原因で危険な状況に陥りうる。 「戦線供述なんざ信頼度の高いものじゃない。だから追加レポートも依頼したんだが」 それは7.62mm弾で死亡した部隊員数名を詳細に検死したものだった。 「あれは面白いレポートだったね」 腕の調整も終わった様子で二宮が口をはさんだ。 「ひととおりの検死はもちろん、検体が被弾するまでの移動経路に、姿勢の推移まで調査し直して、ミコちゃんに確認もとったんだけど」 と区切り、ボックス席の前に立つ草薙を見て補足する。 「あ、ミコちゃんには、さりげなく聞き込みしたからご心配なく」 「先生が調査を……いえ、再調査なんですか?」 「うん。というのも、ミコちゃんの射撃位置と弾丸の侵入経路が微妙にズレてるんだよね。まぁでも、誤差の範囲といっちゃえばおしまいなんだけど」 それでも田中が調査しろとしつこいだの、レバノンは良い所だっただの、どうでもいいことをまくしたてる。 「でもね、どれも狙撃者に都合の良いズレばかりなんだ。どう見繕っても途中で軌道変わっちゃってるよねー、みたいな? これはちょっと面白いよね」 さきほどの金髪女との会話を思い出す。 この手の話は少なくない。そのたびに超能力だか得体の知れない能力ってのは、多かれ少なかれ誰もが持っているのでは、と思ってしまう。だから明確に否定できなかった。 しかしこれは、人間の可能性とかに期待する理想や心情などではなく、御子神のようなケースをいままで幾度か見てきたからだ。 「所詮、自白剤を毒薬に変えちまうようなヤツの調査だかうな。はなはだうさん臭いところだが、御子神の腕によるものだという裏付けには充分だった」 ずっと雑用ばかりで遊ばせていたからな。今回はちゃんと働いてもらう。 「かないませんね」 そう言って草薙は終始腕を組んでオレを見据えていた表情を緩めた。 「あいにく哀れみで人を雇えるほど余裕はないからな」 「しかし、カディーシャ・ギザの資料なんてよく手に入りましたね」 「こういう店では食えるモノが無いと愚痴るが、根はいいヤツらだぞ」 切り上げるように言って席を立つ。無駄話がすぎたようだ。 「あ、忘れるところだった」 二宮の言葉に足を止める。 「検死の話なんかするから、うっかりスルーしちゃうところだったけど、生体部品の事で教えておきたいことがあるんだったよ」 |
|