S28閉幕

 吉巳からシャーレを受け取って、摩耶は唸るようにつぶやいた。
「うあ……、本当に出てくるのね。ニンゲンのカラダってすごい」
 透明樹脂の破片がシャーレの上にあった。所どころに血が付着している。
「創傷治癒っていったっけ。この程度の異物なら勝手に出てくるよ」
 事もなげに言う吉巳は、脇腹の傷口にガーゼを貼り直している。
 保健医として赴任している摩耶であるが、この手の処置は実習すら経験がない。まさしく肩書きだけの摩耶に治療を任せる選択肢など、吉巳には最初から無かった。
「でも、傷口を瞬接で塞ぐなんて、女の子がやっちゃだめだよ」
 などと猫なで声で言うのは、保健室のベッドに腰掛ける吉巳の背後から、突然現れた佐古だ。
 両肩に腕をまわしてしがみついてくる。
「あなたねぇ、誰のせいでこんな事になったか分かって言ってるワケ?」
 伊達メガネを光らせて口撃する摩耶であったが、本人は聞こえない振りをしている。
「暇そうだな。受験で忙しいんじゃないのか?」
 言いながら、佐古の手首を奇妙な形に極めた吉巳は難なく束縛から解放された。
 声にならない悲鳴をあげてのたうちまわる佐古を余所に、平然とシャツの袖を通す吉巳。
 どさくさにまぎれて『三年生に復学』してからの佐古は、こういう風に吉巳に絡んでくる事が多くなった。すっかり大人しくなってしまった須藤の代わりといったところだろうか、対する吉巳も扱いに慣れてきているようだった。
「だ、だいじょうぶ。すでに推薦で何校か押さえている佐古さんに隙はなかった」
「ソレって正規の手順踏んでるんだろうな?」
「……あ、ははっ、当たり前じゃん」
「……」
 じゃれあっている様にも見える二人を眺めつつ、摩耶は小さく溜息をついた。

 本来、学園祭の開催日であった、あの日から3日が経過している。
 未だに学内は平静を取り戻していない。

 学園生徒による集団投身自殺未遂。

 公にならなかったのは、学園の影響力によるところであろうが、しかし警察の介入は避けられなかった。
 別案件で近隣に派遣されていた未治が担当となり、彼に概略を説明したのが一昨日。
 本来、学園責任者が説明するところであるが、実際のところ、状況をまともに説明できる職員は摩耶しか居なかったのだ。
 神野学園長は、確かに軽度の痴呆症を患っていた。娘の駆け落ちが原因なのかは分からない。ともあれ、記憶の欠落が顕著で事情聴取もままならなかった。
 他の職員もだいたいにおいて口が重く、奇しくも予犯委から派遣された摩耶が居たため、なし崩し的に説明を求められたのであった。
『集団多重人格障害』という結果に、未治は満足げであった。
 つまり、神野恵と無垢なる雛鳥の真相を語っていない。
 神野恵は、吉巳の最後の一撃で息の根を止められた。それでいいのではないか。
 それ以上に旧占星術研の生徒たちを追い詰める必要もないではないか。
 応接室で話した彼女たちは、手段に問題はあったけど、たしかにその瞳は輝いていたように思う。
 彼女らが思うほどに未来はつまらないものではない。それに気づく機会が、少しでも閉ざされるのは嫌だった。

 思い至って、摩耶は苦笑を漏らした。これは結局のところ、『神野恵たち』の思惑通りではないか。
 椅子に思い切り背を預け、ぐっと反らして天井を見つめる。
『こういうのも、リマ症候群とかストックホルム症候群って言うのかな』


END

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