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最終話 福岡駅前攻防戦2
田中はNORADを経由して送られてくる米国産監視衛星の映像を凝視する。 しかし、 画面中央の男は何事もなく悠々と人気のなくなった大通りを闊歩している。 「C010、C011、なにかトラブルですか?」 今回集めた狙撃手たちは皆、特Aランクの腕前の者たちばかりである。ノーマルライフルでもマン・シルエットであれば、100Mは難しい距離ではない、そればかりか今回は監視衛星のバックアップも用意されている。 無線からは未だ応答がない、と突然、田中の横にいた将校が倒れた。前のめりに頭を机に落とす。 「まさか」 振り返った田中は呆然とする。さきほどまでせわしく動いていた、自衛官やら内調の職員が草薙も含めて全員倒れている。そればかりか、本部テント周辺の喧噪までなくなり、静寂につつまれていた。 「ヤツの能力は、これほどのものなのか…」 つぶやくと、田中は銃を抜いてテントを出た。すぐさま猛然と駆け出す。 銃身が地に着くほど姿勢を下げて、わき目もふらずに走る。陽光の元、高層ビルが黒い陰を落とすその谷間にあるソレに向かって。 田中に策があったかは、今は知るところではない。ただ、「射程距離に入れば…」、そんなことを考えていたという。 陽炎の中、真っ黒な人影が見える。はじめは輪郭すらおぼろげだった影が鮮明になってゆく。 『入った』 特殊なツヤ消し処理がほどこされた銃身をソレに向けた時、田中にはソレが笑って見えた。 同時に田中は悪態をついた。自分の膝が勝手に地に着こうとする。 前に進もうとする意志と、休もうとする身体がかみあわなくなり、ついには自分の足でつまずいて転んでしまった。そんな姿勢でも銃身はSSに狙いを定めているが、すでに人差し指に込める力すら出せないでいた。 『ここまでか』 いつの間にかサングラスはどこかへいってしまい、田中は直にSSを睨みつけていた。それは目的が果たせなかった悔恨や憎悪とは異なる、嫉妬に近いものだった。眠気が全身に広がってもまだ田中はSSを見上げて、睨みつけている。 その視界が突然、黒い影に閉ざされた。 その大きさからして人である。そもそも、SSの間近に立っていられる人間がいるのか。そんな事も考えられないくらい田中の意識はもうろうとしはじめていた。 田中はうすれゆく意識の中で二人の雄叫びを聞いた。どちらの声も田中にとって聞いたことのあるものだ。一つは以前、仲間であった男。そしてもう一つは…。 茫洋とした意識が徐々に鮮明になってゆく。それと同時に目の前の影がはっきりとしてきた。 目の前の影は若い男であった。しかし、SSとは違い、上腕や首周りに日焼けの跡があり、体格もお世辞にも良いとはいえない。SSと同じなのは裸同然の格好であるという点だけだ。 「か、神楽坂クン?!」 口が利けるほどに意識が覚醒した田中が、最初に見たモノは、真っ白なフンドシだった。 着地と同時に神楽坂はSSと両手を組んで「力くらべ」の体勢に入っていた。彼は再度雄叫びをあげると強引にSSを押し戻す。SSの素足がアスファルトをバキバキと四散し砂埃を上げる、という非常識な光景が展開された。 「なんで彼が」 「難しいことではありません。ただ、流れを逆にしてみただけです」 田中は起こした上体をそのままに、首を後ろに倒した。背後に立つ静原教授の姿がひっくり返って見える。そして、田中は現状を大筋理解した。 「で、なんでフンドシなんですか?」 その問いに静原教授はきょとんとした表情で答えた。 「…え、やはりかっこ良い方がいいと思いました」 「その価値感でどーすればフンドシになるのかわかりませんが…」 その田中の言葉をさえぎるように静原教授は「あっ」と声をあげた。 それに呼応するかのように首を戻した田中は叫んだ。 「押し戻される!」 神楽坂の膝が曲がっている。SSが盛り返し、力関係が逆転しているように見えた。 「いえ、圭一さんは眠気に襲われているのです」 そう言った静原教授の表情には悲痛の色があった。いつもなら、まるで他人事のように言い放つ彼女ではある。 「やはり、本来の意識と共存させたことが要因になっているの?」 田中は立ちあがろうとしたが、まだ身体が言うことを効かないのがわかると、スーツの汚れも気にせずに路上であぐらをかいた。そして、目の前で組みあっている男二人を観察する。 「それだけじゃないかもしれませんよ。どうやらSSは、低周波の密度とその範囲を操作できるようになったようです」 静原教授は予想外の事実に絶句した。それでもなんとか「そんな…」とだけ漏らす。 「私が想像するに…神楽坂クンのフンドシはSSのそれとは逆の機能、いわゆる生物を覚醒させる機能を備えている」 田中は静原教授を見上げて、にやりと笑った。 「古今東西、アンチパワーって切り札ですよね?」 「でも、SSはこちらの予測を上回る進化を遂げていた。こうなったらどうしようもない。しかし、あえて可能性を挙げるとしても、神楽坂クンの精神力くらいしかない」 田中はしばし沈黙した後、静原教授に再び向き直ると、彼女を正面から見つめた。 そして、これ以上ないほど真面目な眼で言い切った。 「やはり、ここは女の子の声援ですよ」 静原教授は硬直した。アーモンド型の瞳を大きく見開いて。 「ここは、神楽坂クンの奮起しかないんです。そのためには、あなたのような女性の黄色い声援が必要なんです」 田中は真剣なまなざしで力説した。それと同時に、ようやく田中の言う事を理解した静原教授は一気に頬を紅潮させる。 「さぁ!」 神楽坂は満員電車の中で吊り革にぶらさがって居眠りしているサラリーマンのように、「一人鯖折り」をくり返しつつも、なんとか首を振って立ち直ろうとしている。 「ここで形成逆転しないと、もう後はありませんよ!」 田中は一気にたたみかけた。ここで躊躇させてはいけない。 神楽坂の賢明な姿を見ていた静原教授は、ついに決心した。少し恐いくらい真剣な表情になる。 彼のおかげで自分は開放された。その大事な彼を助けられるのであれば…。 静原教授は胸元の両手に、ぐっと力を込めて、大きく息を吸った。 「圭一さん!がんばってっっ!」 周囲はSSによって深い眠りに陥った人々だけで、起きているのは、田中たちと神楽坂、そしてSSだけだ。もし、他にだれかがその場に居あわせたなら、静原教授が叫んだ瞬間、神楽坂の瞳が光ったのを見たかもしれない。 「ううおおおおおおぉっっ!」 怒声とともに大股で大地を踏み締め、両手を天につき挙げる。まさに「オラに元気を分けてくれ」状態の神楽坂に、SSは弾き飛ばされそうになった。 田中は歓喜した。 「やった!」 「…あ?」 しかし、神楽坂の奮起は一瞬だけだった。SSは弾かれながら、にやりと笑うと険しい表情になる。なぜかSSのサングラスがヒビ割れ、砕け散る。 先程よりも強烈な眠気。日に光る水面がどんどん遠退いて、暗い深海に落ちてゆくような感覚。神楽坂にあらがう手段はなかった。 「だめか…」 田中の言葉と同時に静原教授は地に膝を落とした。両手をついて、うなだれる。 「圭一さんと一緒なら、このまま眠ってしまっても、いい」 どんどんどんどん! 地に響く、その音響は突然のことだった。 どんどんどんどん! その音は日本人であれば、誰もが慣れ親しんだ響きである。 どんどんどんどん! 和太鼓である。 静原教授と田中が同時に振り返る。駅前特設会場に設置されたやぐらにそれはあった。そして、それを取り囲む人々の姿も。 太鼓の響きは徐々に盛りあがりを増し、そして。 「圭ちゃーん!がんばれーー!」 その声は「福岡市民の祭り振興会実行委員会」のメンバーのものだった。 そして田中は気がついた。SSによって眠らされていた人々が、いつのまにか目覚め始めているのだ。 「お?ありゃ、神楽坂んとこの、せがればい?」 「おおー、今のわけーもんにしちゃぁ、フンドシたぁ気合入っとー」 メンバーの太鼓と声援はまだ続いている。そして、それに気付いた人々の中で、神楽坂を知る者たちがそれに続く。 「おおーっがんばれー!」 「やるな!神楽坂んトコのー!」 「かぐらざかー!」 彼らに現状を正確に理解できている者は居なかった。ただ、異常に興奮した気分が声援を送らせたのだ。それは、祭りという舞台のせいかもしれないし、神楽坂の覚醒能力によるものかもしれなかった。 「なんか知らんが、がんばれー!」 場の雰囲気というものは、みるみる伝播してゆく。気がつけば、まったく無関係な人間まで神楽坂に声援を送っていた。 初めは、まばらであったその声援が、今は声の波となって地を揺るがせている。田中と静原教授は、ただただ、圧倒されて呆然としていた。 「田中さん!」 呼ばれて振り返ると、草薙がこちらに駆けてくる姿があった。 「日本人ってヤツはもっぱら祭り好きなんですねぇ」 「は?」 駆けよって、すぐに発せられた意味不明な田中の言葉に草薙は呆けた返事をした。 「場の雰囲気ってヤツですか。神楽坂君のテンションが周囲を起こして、皆の高まったテンションがそのままフィードバックされてる。いくらヤツの強力な催眠能力でもかなわないでしょう」 「あのぉ、私にわかるように説明してもらえませんか?」 「田中さんのおっしゃるとおりです」 困惑した草薙を無視するかのように静原教授がつぶやいた。その視線は神楽坂に向いたままで、田中と草薙はそれにつられて、視線を追った。 神楽坂は完全に盛り返していた。否、その勢いは止まるところを知らず、すぐさまSSを押し込める体勢になる。 「おぉ!」 SSが膝を折った瞬間、神楽坂は渾身の蹴りを放った。 にぶい肉の音が周囲に響くと同時にSSが砂塵とアスファルトの破片を巻きあげながら後方へすっとんでゆく。 そんなふざけた光景に周囲の人々はなんの疑問もなく、歓声をあげた。 しかし、次の瞬間、歓声はどよめきに変わる。 蹴り飛ばされたSSが突然、宙に跳ねあがったのだ。そのまま、SSは福岡駅前最大級のデパート、三越ビルの最上階に舞い降りる。 着地姿勢からゆっくり立ちあがったSSは、両手を腰に、やや上体を反らせるいつものポーズをとると、眼下を見下ろした。 そこにはSS以外の人影はなく、ただ、屋上遊戯場のゴンドラが風にゆられてギィ、と鳴いていた。 「…………」 いつでも跳び上がれるように身構えていた神楽坂が、いきなり体勢を緩めた。 SSが何か呟いたのを聞いたのだ。それははっきりと聞こえたわけでもなく、内容は定かではないが、敵意とか悪態とかそういった類のものではなく、どちらかと言えば友好的な言葉であったような気がした。 どちらにせよ、それは神楽坂の推測の域を越えるものではなく、そして、 「ドンッ」 爆音とともに、三越ビル屋上に煙が舞い上がった。その煙を切り裂くように飛び出した黒い影は、西の空に消えた。 それを確認する手段もなくなってしまった。 「田中さん!」 「確認してください」 草薙が本部テントへ駆けて行くのを見送りながら、 「祭りが終わったな」 ポツリと漏らすと、田中は傍らの静原教授に向き直る。 「ひとつ、わかんないんですけど、いいですか?」 SSを撃退できたことに素直に喜んでいた静原教授の表情がみるみる陰る。それは田中の言葉にではなく、田中という存在のせいだ。 それを察してか、田中の口調は終始おだやかだ。 「なぜ、協力する気になったんですか」 静原教授は沈んだ表情をそのままに、ゆっくり歩いてくる神楽坂に向き直った。 「使い古された言葉ですが、人は一人では生きていけないというでしょう?それは、見方を変えれば、周囲の人と時間を共有したいという願望ととることもできます。その願望を実現させるには、周囲が自分に合わせてくれるのと同じように、自分も周囲のリズムと合わせなければならない場合がある。 そのために自分の時間を犠牲にしなければならない。時間に追われていると言っている人は、本来の意味を忘れているだけなんです。 …私もその一人だったのかもしれません。でも、圭一さんが思い出させてくれたんです。 みんなとの時間を共有するために、自分の時間をほんのちょっぴり犠牲にしているだけだ。って、圭一さんが思い出させてくれたんです」 静原教授は、なにかをふっ切るように立ち上がった。 「田中さん!」 それを制止するように叫んだのは神楽坂であった。もう、すぐ側まで来ている。 「いいんです。私は、私の行いを後悔しています」 静原教授はうつむいたまま、神楽坂に背を向けて言った。その言葉は神楽坂を止めるに十分な意志が含まれていた。 「わかりました」 田中は事務的にそう言うと内ポケットに手を入れた。 「田中さん!」 再度、神楽坂が叫ぶ。 「いまさらでなんですが、わたくし、こういうものです」 静原教授に差し出されたのは、一枚の紙切れだった。無意識に手に取ってしまう。 「最近、やっと部内にネットワークが入って、メールアドレスなんかももらえたんですよ。ウチは、そういうのに疎くってねぇ」 「お恥ずかしい話ですが」と付け加えると田中はカラカラと笑った。 「で、そのメールアドレスに、神楽坂クンの履いてるフンドシの資料を送付してください。いえ、容量制限はありませんから、何MBであろうと何十GBであろうとかまいませんよ」 田中はどこからか、予備のサングラスを取り出した。 「田中さん!」 絶妙なタイミングでやってきた草薙に、田中はグラスを掛けながら振り返る。 「SS、消失しました」 「そんなところでしょうね。ところで、次にある、大規模な祭は?」 「そうですね。京都の祇園祭は7月ですし…」 「あんな、しおらしいイベントにヤツは来ないでしょう」 「じゃあ、だんじりなんかどうでしょう?」 「あれは9月から10月でしょ?」 「どっちにせよ、いったん東京に戻りますか」 そんな会話をしながら、歩み去る二人をしばし、呆然と見送った神楽坂と静原教授は、ふと互いの顔を見合わせ、クスリと笑った。 危機は去った。だがこれで安心してはいけない。SSは人集う祭事あるところ、必ず現れるであろう。 そう、今度はキミの街かもしれない! 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