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第4話 福岡駅前攻防戦
「怪人はまだか」 「は?」 「怪人、だ」 再度、念を押されて若い兵卒はようやく理解した。 「あの、班長、目標は『SS』と呼称されているのですが?」 「それがどうした。配布された資料によれば、そいつは銃弾をはじき、10m以上を悠々跳躍し、そればかりか瞬時に人間を眠らせてしまうというではないか。そんな、たわけたことをするようなヤツは、…怪人だろう」 兵卒は、いかめしい表情の伍長の返答に当惑し、「はぁ」と生返事をしたまま、しばし沈黙してしまう。 すると、目の前を若い夫婦の子供連れが現れた。その後すぐにペットボトルを片手に若い男連れが、これもまた同じように迷彩服姿の二人の前を通りすぎる。 いかめしい表情の伍長のこめかみがヒクヒクとひきつっているのが端からでも分かった。そして兵卒はようやく理解したのである。 昨晩、陸上自衛隊福岡駐屯地に非常召集がかかった。任務は市内の治安維持、および『SS』と称される特殊目標の捕獲である。提示された任務自体は、『特殊目標』という表現に若干疑問が残るもののそれ以外は自衛隊の任務として問題はなかった。 だが、今回の治安出動には『民間施設ならびに一般交通網などの閉鎖は一切行ってはならない』という条件が追加されていたのである。これは民間人を抑制できないことと同義で、極端な話、工事現場の警備員が自衛隊員に代わっただけ、などと言えてしまうかもしれない。 目の前の伍長は憤慨した。そんなことでは治安維持活動はできない。それどころか民間人をパニックに陥れる可能性もある。これは伍長個人の意見だけではない。自衛隊員のほとんどが同じ意見を持ち、上層部へ抗議した。だがしかし、それらは一切無視され、本早朝、実配備となったのである。 そして、伍長が懸念していた民間人のパニックは、いっさい起こらなかった。 おりしも、市内あげての祭の最中である。何かのイベントととらえられたのか、もしかしたら、だれもが日常の感覚を麻痺させていたのかもしれない。 若い兵卒はサイズのあわないヘルメットを持ち上げると首をめぐらせた。背後の大手家電スーパー大駐車場に野営テントが設けられている。 その陰の中には、索敵・通信用の装置が納められ、電探担当の自衛官がせわしく動いている。その周囲にもライフルを下げた歩哨が3人。そして、その歩哨の一人と仲良く雑談に興じている近所のおばあちゃんの姿も見えた。 「暑いのに大変だねぇ」などと労をねぎらいながら缶ジュースを配っている。 物々しい兵隊どもと、それらに囲まれているおばあちゃん。その違和感は全く、異様な光景であった。しかし、周囲に視野を広げると若い兵卒は別の違和感に捕らわれる。場違いなのはおばあちゃんなのだろうか、それとも。 兵卒は先ほどもらった、つぶつぶオレンジをあおって、別部隊の同僚から聞いた話を思いだしていた。 一部主要官庁前には、歩兵だけでなく、特殊車両も配備されたという。しかも、輸送車両から降車させる、いわゆる警戒態勢で配備されたのである。大仰な砲塔を旋回させながら、その巨体が地上に姿を表したとき、周囲のヤジ馬から拍手喝采が上がったのだそうだ。 伍長のつっけんどんな物言いはそのあたりに理由がある。 今度は浴衣姿の茶髪ネーチャンが「ねね、コレってなんのイベントぉ?」などと伍長にタメ口をきいている。 伍長はするどい一瞥を茶髪ネーチャンにくれてやると、それでもやりきれない憤りを押さえながら兵卒へ顔を向ける。 「で、どうなのだ?」 「はっ、内調より支給された低周波探知機にまだ反応はないようです」 矢先にテントの方から悲鳴があがった。 「どうした?!」 「反応あり!12時の方向!距離500!」 「正面か!」 伍長と電探担当兵卒のやりとりに、周囲の隊員は迅速な反応を示した。探知機と同じく、内調より支給された、10番ゲージの特殊弾頭スラグ弾を装填したライフル10丁がずらりと並ぶ。 「こちらは自衛隊です!民間の方は射線から退避してください!」 茶髪ネーチャンを路肩に押しのけながら、伍長がメガホンにがなりたてる。 「あぁ!反応、消えました」 「なに!」 兵卒をはじきとばさんばかりの勢いで伍長が駆け寄った時には、モニター上部で放射状に光を放っていた光点は消えていた。 「どういうことだ?!」 思わず伍長は周囲を見回した。 「ああ!」 電探担当の叫び声に伍長は反射的にモニターを見た。 SSを示す放射状に光を放つ光点は再度表示されていた。画面中央。伍長たちのいる場所である。 「班長!」 「ぐー」 『春日公園守備隊沈黙っ!』 『さきほどの太宰府IC守備隊確認しました、3名が軽傷、10名全員が行動不能です』 『JR竹下駅前守備隊からの通信が途絶えました!』 地元大学のブラスバンド部に引き続いて、きらびやかにデコレートされた通称「花自動車」が目の前をゆっくり通り過ぎてゆく。 田中はその様を仮設テントの一番奥で眺めながら各地域から入る連絡に耳を傾けていた。本人は楽しそうに眺めているのだが、サングラスに覆われてその表情は端からは見取ることが出来ない。 黒スーツにサングラス。小春日和にその衣装は少し暑そうに見えるし、直立不動の姿勢はどこかのSPのようにも見える。 「田中さん」 傍らに立つ草薙が小声で呼びかけた。こちらも表情をうかがうことはできないが、その声には明らかに不安の色が感じられた。 「彼はすごいですねぇ。毎度おどろかされますね」 「どういうことですか?なにかわかったんですか?」 SS出現から数十分、次々と防衛ラインが突破されてゆく。突然あらわれては消失するSSに現場は混乱に陥っていた。 このような事態はさすがの田中でも理解できないであろうと踏んでいた草薙は、田中が予想外に冷静でいるのであわてて問い返したのだった。 それに対して田中はすらりと答える。 「簡単なことですよ。あの探知機は特定周波数の音波をサーチします。SSは探知しきれない早さで移動しているだけですよ」 「はあ…、なるほど…」 草薙は一瞬納得した。 「…って、それはヤツが音速を超えて移動してるってイミじゃないですか!」 裏返った草薙の声は、福岡市民の祭り振興会実行委員会本部の白いテントを揺るがした。 田中たちの前に鎮座ましましている地方自治体幹部や地主連中がおもむろに振り返ると、二人に冷たい視線を突き立てる。祭を無事に終わらせたい彼らからすれば、二人の存在は厄介事以外のなにものでもないのである。 ハッとして草薙は声のトーンを下げると田中に詰め寄った。 「そんな冗談よく言えますね!」 「ウソではありませんよ。推測です。かなり良いセンだとは思ってるんですがね」 田中は飄々と応える。 「彼に常識は通用しませんからねぇ」 と、付け加えた。 端から見れば冗談の続きのように見える光景だが、3年来田中の部下をつとめる草薙は、がっくりと肩を落とした。田中は本気で言っているのだ。 「…そんな」 「いやぁ、こうなってはお手上げですねぇ。まいったまいった」 あはは、と笑う田中の横で頭を垂れた草薙の肩が小刻みに震えている。 「じゃあどうするってんですか!そんな無茶苦茶なヤツをこのまま放っておいたら、すぐここに来ちゃいますよ!?」 草薙はさきほどとは比べものにならないくらいの剣幕で怒鳴った。田中の首をしめかねないその形相に周囲の役人たちも冷たい視線を送るどころか、その矛先がこちらに向くのではないかとどぎまぎして腰を浮かせている。 しかし、田中はいたって平静である。それどころか逆に草薙の怒鳴り声を歓迎した。 「そう、それです」 その一言で激情が一気にどこかへ行ってしまった草薙は、呆けた顔を田中に向ける。 「ヤツは現れた。そして、沈黙した部隊の軌跡をたどると、まっすぐこちらに向かっている。人口密度の高い地域へ移動するという静原教授のレポートは正しかったですね」 田中はテントを出た。草薙が後を追う。 「つまりヤツの行動は、まだ我々の予想範囲内にあるって事が重要なのです。たとえ驚異的な性能を発揮しようが先の行動が読めるのであれば勝機はあります。周辺の部隊をここに集めてください」 なにか納得がいかないまでも、無言で頷いた草薙は無線に指示を出し始める。それを確認すると、田中はすたすたと本部テント裏にある、自衛隊のテントに入ろうとしたが、手前で踏みとどまる。 田中は空を見上げた。真っ青な空。今日も晴天である。 「それに…」 しかし、それを見上げる田中の表情はまったく正反対な性質のものだった。口元をゆがめ、片眉がグラスからはみ出る。その顔からは憎しみにも似た負の感情が感じられる。 「ヤツに勝とうが負けようが、状況は大きく変化する。退屈な安寧なぞ、不要だ」 「よく似合っておられますよ」 「…そ、そうかい?」 真っ青な空を見上げる神楽坂は少し苦笑する。ゆるゆると風が頬をなでる。 「圭一さん、さあ、行ってください。時間がありません」 呼ばれて神楽坂は振り返った。春風を全身に受けながら、じっと目の前の少女を見つめる。 「香織ちゃんには、世話になったな。ありがとう」 その科白に言葉ではなく微笑みで返す静原教授。 そして彼女の髪が大きく乱れた。神楽坂が虚空を舞った吹き返しの突風にさらされたためだ。 みるみる小さくなってゆくその姿を見つめている静原教授は瞳を潤ませてうっとりとした表情で、 「やっぱり、洋モノより純和風よね」 と、つぶやいた。 ただ、心地よい風が耳元で鳴っているだけだ。その静寂に彼は満足していた。 眼下には極彩色のトラックが数台、電柱や消火栓にひっかかり、その周囲には人影がまばらに倒れている。その地上に寝そべる人々を見て彼は歓喜に打ちふるえた。 「万人に安眠を」などというお題目を達成できた感動が彼にあるわけではない。 ただひたすら人を眠らせる。 彼の行動理念はすべてそこから生まれる「悦び」に帰結している。それは至極シンプルで、野生動物の本能に近い。今が彼にとって至福のひとときなのである。 だが油断はできない。 彼が支配した人格の片鱗がそう警告している。今の彼がここにあるのは、本来この肉体の持ち主であった、その人格が類い希なる危機管理能力に長けていたためだ。そのおかげで幾たびか追跡の手を逃れられたことが彼にはあった。 彼は顔を上げた。危険な気配のする方角へ。その気配はどんどん厚みを増している。 彼は明確に判断できないでいた。行くべきか退くべきか。 その場所は、人の活気がもっとも集中している場所でもあり、彼が赴くべき、としていた場所でもあったからだ。 またそこには、ある人物の気配があった。この地に来て、彼の能力が効かなかった人間の一人がそこにいる。 いわゆる、人を眠らせる事は彼の悦びを発露させるきっかけであると同時に彼のアイデンティティでもあった。昼間のラーメン屋の一件で彼は二人の人物にそのプライドを傷つけられたのである。 渋面がリベンジに燃える笑みに変わった時、彼は地を蹴った。 「反応あり!距離400!」 田中は西日本鉄道福岡駅中央口前に設営した自衛隊テントを今回の作戦本部としていた。陸自から借り出された電探係が叫ぶ。 「いいタイミングだ。こっちでも見えてますよ」 田中が見ているモニターは自衛隊のそれとは違い、スリムな造りではあるが、不似合いなくらい大仰なアンテナが取り付けられている。当然軍用のものであるが、米海軍標準のSDAU回線に接続するためのものである事までは容易には分からない。 その画面には、点滅や、マークなどではなく実景が表示され、その中央に虚空から降り立った海パン姿の男が映し出されていた。その映像の視点はかなり高い。 「陸自の方々を前進、目標の周囲に展開させてください。ただし、包囲はしなくて結構」 田中の側に付いていた陸自将校は怪訝な表情を見せつつも電探係に指示を飛ばした。すぐさま田中に向き直る。 「どういう作戦かね?このままでは防衛線の二の舞になるが」 将校の言葉を手で制すると田中はインカムのスイッチを入れた。 「SSは3Bに現れました。各自移動。C010とC011は目標を補足してください」 「C010、目標補足」 「C011、障害物あり、ですが70秒後には補足可能です」 田中の指示に即座に応えがかえってきた。 「ここを中心にウチの狙撃隊を展開させてあります。ヤツの催眠効果は半径100M。その外からヤツを狙います」 続けて田中はインカムに指示を出す。 「よろしい。では50秒後に目標を攻撃します。私の指示を待ってください」 「ちょっと待ちたまえ。それはウチに囮をやれ、ということか?」 陸自将校の表情が険しくなっている。田中の視界にそれが入っているかは不明であるが、彼は時計を見ながら言葉を継いだ。 「自衛隊の方々にはSSの動きを牽制してもらいます。まぁ、囮ともいいますかね」 皮肉めいた笑顔でそう言った田中は即座に表情を引き締めた。 「よし、撃て」 |