照らす物全てをオレンジに染めあげる光が車窓から射し込んでは後ろへ流れてゆく。
 温もりのない、氷点下が支配する街並みを女はグラス越しにながめていた。
 タクシーは橋を渡り、元工場地帯であった区域に入る。
 少し視界が広がり、白い結晶が闇の中を疾駆するのが見える。吹雪いているようだ。
 うってかわって、車内は暖房が効きすぎていた。おそらく中古で輸入されたものだろう。彼女の目の前、運転席の後ろには、漢字で書かれた広告が貼りついたままだ。
 今のこの国はどこもそうである。外部からいろいろなモノが入りこみ、大切なものを失ってゆく。
「すまないねぇ、このポンコツ、エアコンの調子が悪くて」
 再び謝るドライバー。しかしルームミラーに写る男の目には下卑た色が浮かんでいる。当然、暖房の調子が悪いわけではない。
 客は乗車と同時にレザージャケットを脱いだ。その下の真っ白なブラウス一枚では、女の魅惑的なラインを隠すことができないでいた。
 同様に、乗車時にちらりと見かけたレザーのタイトスカートからのびる足は、ストッキングに包まれてはいたが、しなやかさと柔らかさを兼ね備えているのはすぐにわかった。

 ウィンカーの明滅、タクシーは本線から外れ、空港へ向かう。
 男はストッキングが丸められ、その肌が露わになる光景を思い浮かべながら、努めて営業用の台詞を吐く。
「旅行かい?いいねぇ。でも一人で?」
 終始、車窓に傾いていた客の顔がこちらを向く。
 木目細かな白い肌に、通った鼻筋、グレーのルージュが引かれた小さめで肉感のある唇、顔を覆わんばかりの大きなグラスで瞳こそ見えないが、男はウォッカで赤くなった顔をさらに紅潮させた。

 飾り気のない、ましてや機能的にも充分か疑問視できる、さびれた地方航空会社のチェックインカウンター前に男は無造作に車体を横付けした。
 すでにジャケットを羽織った女は内ポケットから10ルーブル数枚を取り出して、運転席とを隔てるビニールシートのスリットに差し入れる。
 終始、無視され不機嫌になっていた男は、紙幣をむしり取ろうと手を上げた。だが、その手はむなしく空を切る。
 差し出した紙幣をひっこめた代わりに、女の顔がシートの向こう側にあった。
 女は少し柳眉を寄せると、男の前で始めて口を開いた。
「私も失礼だけど、あなたはもっと失礼ね」
 グラスの奥の双眸が赤く光ったように、男には見えた。
 次の瞬間、耳元で亀裂の走る音が聞こえた。同時に視界が真っ赤に染まる。
「お釣りはいらないわ」
 ルームミラーがガラス片を落とすその下で、うずくまり、悲鳴を上げている男を横目に彼女は自分でドアを開けた。
「おはよ。少佐っ」
 肌を裂くような寒気を頬に感じながら顔を向ける。
 ボア付きコートに顔をうずめ、屈託ない笑顔を浮かべている少女が傍らにいた。
 その奥に長身のロシア人男性と、ロビーの中に東洋人の男が見える。
 小首をかしげている目の前の少女に女は肩をすくめてみせた。
  
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