「田中さん、コーヒーです」
 独特の芳香が鼻腔をくすぐる。
 それでも、まだ頭の中はぼぅっとしていて、意識が制御しきれていない身体が勝手にカップを受け取っている。
「しかし、今回はまぶしすぎるな」
 張り込みなんて何年ぶりだろう。自宅のベッドに慣れた身体ではバンのシートは少々きつい。
「へ?カーテンは換えてませんけど?」
 意識を覚醒させようと声を出してみたが、マト外れな返答にオレは眠気を覚えた。
「警察があの有様じゃ仕方ないでしょう」
 運転席の徳間がフォローしてくれる。恐らくこの車内でまともに話ができるのはコイツだけだ
「学習能力が著しく乏しいからな。アイツらは」
「確信犯ばっかでしたからね。先方のシナリオどおりにコケてくれたって感じですかね」
「ああいう旧態然とした組織に従事してる彼らには同情するよ、オレは」
 御子神がポニーテールを振りながらオレと徳間を交互に見ている。確かに端から聞いているだけでは内容の理解は難しいかもしれないが、彼女にはもう少し関係者である事を自覚してほしい。

 ここ数ヶ月、断発的に起こったテロ事件。犯人は事件直後に次々と逮捕され、そしてすぐ自白。事件としてはそれで解決である。しかし、警察側が捨て置けない犯人全員に共通する点があった。
 オレは厚手のカーテンの奥に見える雑居ビルに視線を移した。
「瑠璃辺救済会」
 ここが関東地域の拠点にあたるらしい。
「見附の駅で催涙ガス騒ぎがあった時点で結果は見えてたな」
 10年ほど前、宗教法人が起こしたテロまがいの事件に、警察はひどい目にあっている。だから初動は速かった。
 「警察内部の信者狩り」まったくあそこはやり方に変化がない。警察の機能上、事件後にしか動けないのは仕方が無いが、それと失態に対する反省と改善は別だ。きっと上の連中には喉というものがないのだろう。
 確かに信者は見つけられた。古巣の友人の話によると、免職や拘束された者もいたらしい。それだけならまだしも、中には無関係の警官もいた。状況はさながら、中世の「魔女狩り」の様相を呈していた。
 案の定、それがマスコミにバレて、残ったのは内外問わずの不信感とバラバラになった組織、警察は動きを封じられた。

 元々、警察には未練が無かったし、オレは的外れな対応に失笑していたものだった。まさか、その尻拭いをすることになるとは予測できなかった。
「ほんとうなら、公安の出番なんですよね」
 カップで両手を暖めながら、御子神がポツリと言った。カーテンの事を言っていたのではない事を理解してくれたようだ。
「おはようございます」
 助手席の草薙が起きだしたようだ。それをきっかけに外から妙な音色が聞こえてきた。金属の打楽器をベースにした、なんとも不快にさせる音色。それに続く、唄。
「目標は?」
 オレが言う前に草薙は、ビル入り口付近の映像をフロントガラスに映しだしていた。
「5人です。ランクBにリストされている男が1人、あとは見送り2、付き添い2、といったところですか」
 答えながら、キャプチャした映像を御子神の端末へ転送している。
 たぶん布教事務所へ視察かなんかだろう。オレは該当する人間を頭の中でリストアップしながら、持っていたコーヒーカップに口をつけた。
「…御子神」
 名前だけ呼んで、じっと見つめる。本人は片手でキーを操作しながらうまそうにコーヒーを飲んでいたが、気づいてオレを見る。オレの顔はさぞや苦渋に満ちた表情になっていたことだろう。
「お口に合いませんでしたか?」
 無言の非難というヤツだったのだが、本人は気にならないようだ。
「今日、寒かったし、田中さん、寝づらいって言ってたぢゃないですか。で、唐辛子のペーストを少々、豆と一緒にミルしてみたんですが」
 今回はイケると思ったんだけどな、などと言いながら笑って見せ、恐らくオレのと同じであろう褐色の液体を、やっぱりうまそうに飲んでいる。
「オレに妙なコーヒーを入れてくれるなよ、御子神クン」
 上司として注意してみる。
「飲まないのでしたら、いただけませんか?ソレ」
 草薙が毛布を畳みながらそんな事を言っている。
 オレの周りの女というのはこういうヤツばかりだ。だから、同じ車で張り込みまで出来てしまう。仕事の上では効率的で結構なことだが、やはりなにか物足りない。
「こちらが掴んでいるスケジュールと一致します。池袋の事務所へ向かうと思われます」
「徳間、車出せ。先回りして、確保だ」
 マグカップを草薙に渡しながらオレは徳間に指示をとばした。とその時、怪訝な表情でオレを見る草薙が視線の端に見えた。
 このような民事に限りなく近い刑事事件でそこまでするか。と言いたいのだろうが、時間が勝負の場合もあるし、なによりも、妖しげな宗教団体を相手にするよりも関心事がオレにはあった。さっさと片したいのが正直なところだ。
「了解。先回りして拉致ります」
 徳間の復唱が草薙をやりこめたようだ。
 無言で草薙がシートに座り直すと同時にバンが動き出した。

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