「おごれよ。アラカワ」

 試練を潜り抜けて、ようやくたどり着いた俺の目の前に現れた王。その手には俺の求める甘い果実が託されている。そして王はその果実を俺に与える。
 その目は笑みをたたえているが、尊敬だとか、ねぎらいは一切なく、ただそれを与えることのできる自身への優越感だけだ。
 今の中佐もそんな表情をしている。

「戦争で勝つ方法はなんだと思う?」
「敵にルイ・アームストロングを聞かせる」
 簡潔に俺は答えた。
 本当なら相手を上回る戦力や地の利だとか有能な参謀だとかがあるが、こんなところで兵法を語っても仕方が無い。どのみち、答えは別のところにあるからだ。
「自衛隊にもう少し、おまえみたいなのが多くいれば愉快だろうに」
 そう言うと中佐は声に出して笑った。

 自衛隊が米軍の子飼いであるのは今も変わりない。こっちの人間は「協力関係にある」とよく言うが、向こうはそう思っていないし、やつらの米軍に対する腰の低さはそれを体現している。
 中佐はそれが気に入らないらしく、ほとんど自衛隊の人間と接しようとしない。
 かく言う俺は、ここでは陸幕調査部を名乗っているが、実際のところ部外者な俺は力関係も俺の知るところではないので、言いたい事を言っている。
 どうやらそこが気に入られたらしい。

「かなりいいセンだ。アラカワ」
 中佐は残りのブランデーをあおると言葉を続けた。
「要は敵の戦う気力を無くせば、無駄な血を流さなくてすむ」
 プロパガンダか、俺は口の中で呟いた。調子付いてきている中佐の話を折るのは得策ではない。
「ま、こんな事は冷戦のころからやっていたし、考えているのは我々だけでもない」
 少し間を置いて、皮肉交じりな笑みを浮かべると中佐は続けた。
「昔は空からビラをバラまいた事もあったが、今は薬物が主流だな」
 他にも電波ジャックや、内通者を使って噂を流すという方法もあるが、手間暇がかかる割に効率が良くない。結局、懐柔より殲滅の方が簡単ということだ。
「だが、それほど効果を上げているという話は聞かないな」
 少し反論口調で煽ってみる。
「そうだ、原因ははっきりしている。情報源が敵によるものだと解るからだ」
 それでも、毎日「おまえたちは戦争に負ける」と言われ続けていれば少しはそんな気分にもなるだろう。だが、そこまでだ。元々こじれにこじれた挙げ句、起こった戦争がそう簡単におさまるはずがない。あくまで勝つための過程としての手段と考えるならば、それでも良いだろう。

「あんたのとこは近頃多いよな。第三国を味方につけて自分の行為を正当化して。あれもプロパガンダって言わないか?」
「茶化すなよ。あれは、カネがかかりすぎる」
 憮然とした表情になって愚痴った中佐は、改めて顔を引き締めると、丸テーブルに両肘をついた。
「だが、コレは違う。情報源自身に人格を持たせるらしい」
 中佐は声のトーンを下げて続ける。
「厳密に言えば、対象者が人格を意識する。それも愛する人だとか、尊敬する人という、具体的なイメージを持って、個人レベルに、かなり深い意識層にまで影響するらしく、対象者はその人格に盲信し、けっして疑おうとしない」

 中佐はここで言葉を切った。俺の反応をうかがっている。
 信頼しうる第三者の言葉。例えそれが自身を非難するものであっても、当事者はアドバイスに聞こえるだろう。だが、

「そりゃ、洗脳だ」
 俺の言う「洗脳」という言葉には、長期間の「教育」過程と、一度に小人数しかこなせない特色を指している。
「そうかもしれん。俺も詳細は聞かされていないからな。だが、こいつは従来の洗脳と異なり、広範囲に、しかも即効性があるらしい」
「なんだ、言葉に仮定形が増えてきたと思ったら、そういう訳か」
 笑いながら言ってみるが、当然、俺の目は笑っていない。
「あ、ああ、今回の演習は、ある実験の事後処理で、上でどういうやりとりがあったのか知らないが、今回我々は使いっ走りだ」

 航空母艦4に戦艦12、その他、護衛艦やらフリゲート艦が数ダース、物騒なパシリだな。
 ともあれ、中佐の言葉に憶測が混じり始めている。ここが限界なようだ。情報提供者から結果を求めてはいけない。必要なのは捜査過程の情報、それも事実だけだ。
「演習場所は?」
「知らされてない。指揮権は向こうにあってな」
「向こう?」
「ネリスのモグラどもだ」
 ゲッ、あの怪しげな研究やってる所か。
「実験って?」
「概要はさっき話したようなモノだ」
 生半可には信用できないな。そんな簡単に人間の意識ってな、操られるモンなのか?
 皮肉を込めて俺は言った。
「扇動兵器とでも呼ぶか?」
「そうだな。モグラどもは、なんか別の呼び方してたな」
 俺は席を立つ。こっからは俺の仕事だ。中佐の後ろでテーブルを片づけているウェイトレスを呼ぶ。
「中佐に今のと同じやつを」
 その言葉に中佐はグラスを掲げて答えたが、すぐに何かを思い出したように口を開いた。
「そう、HANARUって言ってたな、ヤツら」

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