係の男はチケットの手続きをしながら、客である少女を時折、盗み見る。
 なにしろ、制服にハーフコートを羽織っただけなので、目の前の乗客が高校生であることはすぐに分かった。
 平日の夜行バスなどは、新幹線に乗り遅れた出張帰りのサラリーマンの非常手段くらいが関の山である。
 たまに学生の貧乏旅行者などを見かけるが、目の前の少女はそれとも違う。
 手荷物は小振りのバックパック1つ。旅行にしては軽装であるし、チケットは一枚で良いという。突然の事でロクに準備もできなかった、という印象だ。
 なにより、制服のままだというのは気になる。
 出力されたチケットを手に取ると、係の男は少女を問いただす事に決めた。
「あの」
 少女は呼びかけを無視してコートの内ポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもし、あ、おかあさん?」
 男に顔を向けると軽く会釈して微笑む。
 化粧っ気のない笑顔に男の緊張がゆるんだ。
「うん、今、東京駅。うん、大丈夫…。ごめん、今チケット買ってるとこだから」
 そう結ぶと、少女は通話を切る。
「あ、すみませんー」
 少し照れながらあやまる少女に、男はすっかり疑うことを忘れていた。

「やっぱり怪しまれるよなー」
 待合室のガラスにぼやりと写る自分を見ながら、つぶやく。
 黒ジーンズ地のコートの奥に白いリボンがのぞいている。
 結城まなみの演技力は文芸部に入ってから飛躍的な進歩を遂げ、すでに一人上手の域を越えていた。
 だから、クリティカルな問題にはならないが、止められるたびに、携帯電話で一人芝居をうってみたり、通行人を友人に見せかけたりと、うっとおしいことには変わりない。
 とはいえ、今日はもうバスに乗るだけである。まなみはプラスティック製の簡素なイスに背を預け、そっと肩の力を抜いた。

 東京駅といっても深夜を過ぎると、人通りもまばらだ。八重洲口側は特にそうだ。
 ボイラーの低音がどこからともなく響き、歩行者用信号機が誰に告げるでもなく、点滅している。
 それらの景色がゆっくり流れる。
 右折左折を何度か繰り返し、無人のビルの谷間を抜けていく。
 しばらく横に流れていた景色が徐々に下がりはじめ、やがて、視線はビルの5階あたりの高さになる。

 車内は、暗散としていた。まなみ以外の乗客は4名ほど、それもバスを待っていたのは、まなみだけで、他の客はバスが到着してからバラバラと乗り込んできた、という具合だ。
 間もなくバスは東京を出ようとしている。
 すでに他の客は寝入ってしまった様子で、備え付けの液晶モニターに顔を照らされているのは、まなみ一人だ。
 それも、消えてしまった。

「関西は晴れかー」
 つぶやきながら、カーテンの隙間から外をのぞく。
 バスの視点は高く、防音壁越しに高層ビル街を走り抜けているのがわかる。
 同じ場所であるにもかかわらず感じる非日常感。旅にはそれがある。
 文芸部の連中と騒ぎながらの旅も好きであるが、誰に干渉されるでもない、孤独な旅も悪くない。
 妙な高揚感に頬をゆるめながら、ポテトチップスの袋に手を入れる。

「ん?」
 体重をあまり気にしないまなみは、足元のバックパックを開いた。
 途中、買い込んできたスナック菓子数袋が占める小さなバックパックに、非常食のゼリーパックや、読みかけの文庫本も見える。
 いびつな形のチョコが入った袋を取り出すと、にまり、と笑って封を切った。

 
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