『最後に、これは少佐に確認しておきたい事項であるが』
 担当指揮官の声は少し間をおく。
『昨日早朝、君が眼を潰したタクシードライバーの件だ。現在彼はこちらで拘禁中だ。しかし、調査した限りでは、一部の道交法違反を除いて、経歴に傷はない。何らかの組織に関与していた形跡もない。子細の説明を願いたい』
 ダシコフが少し首をめぐらせ、後部座席のキーリクと名乗った女性将校へ視線をむける。
 ソーニャもダシコフと同様に心配そうな表情であったが、こちらはゲーム機に目を向けたままだ。
 アジア系男性は腕組みながらに目を閉じている。彼女を意識しているのは同じだが、他の2人とは若干異なるものだった。

『私はあの男の素性をほとんど把握していません。昨日の件は私情です。被害届が出ているのであれば、それは正当なものです。今回の作戦が終了しだい、用件に応じます』
 また、間が空く。さきほどの任務説明とは異なり、担当指揮官は慎重に言葉を選んでいる。

『君は君の置かれている立場を把握しているものとばかり思っていたが?』
『私の能力は軍によって開発されたもので、その能力を用いた行動は、状況によっては軍事行動と同義になりうる可能性があり、能力の発動に際しては軍の認可が必要なのは当然ながら、なおかつ充分配慮されたものでなければならない』
 正反対にキーリクは即答する。それも冷淡な口調で、相手の感情をじわりと煽っている。
『そうだ。軍は君を兵力ではなく、兵器として扱っている。それを解っていて…』
 一呼吸おいて、感情を押さえる。
『私情だとは良く言えたものだな。理解と行動は別だと言いたいのか』

『あの男は私の気分を著しく害しました。なぜだか分かりますか?』
 先方の質問を無視して、キーリクは続ける。
『あの男の思考が見えたからですよ。大佐どの。そして私はあのような思考に対して自分の行動を御しきれない性分であるからです。』
 キーリクの口調からは冷淡さが薄れ、自嘲にも似たあざけりが含まれていた。
『大佐どの、外部から流れ込んでくる思考を私は止める術を知りません。ですから相応に対処しました。あなた方に開発された能力に、あなた方に開発された能力で対処しただけなのですよ』

『少佐』
『なるほど』
 ソーニャからの配信とは異なる、言うなれば純粋なテレパスでキーリクだけに呼びかけたダシコフの声は、口調に棘が失せた担当指揮官の声に遮られた。

『兵器のケアはこちらでやれという事だな』
 しかし、と続けて担当指揮官は少し間をおいた。
『修理も利かず、暴発する危険もある銃は溶鉱炉に放り込むのが得策だと思うが』
 アジア系男性の眉根が一度だけ動く。

『御随に。兵器は軍の所有物ですから』
 キーリクは普通に応えた。まるで他人事のように。
『ただ、大佐どの自らおっしゃるように、暴発には充分配慮するよう、私からも忠告させていただきます』

 しばしの沈黙の後、担当指揮官はミーティング終了を宣言し、回線が切られた。

「あれはマズいぜ。少佐」
「あたしもそー思う」
 ダシコフが沈黙を破り、シートの背もたれに器用に向き直ったソーニャが続いた。
 屈強な北欧系男性の荒い口調に、運転手が一瞬振り返る。
 今まで静まり返っていた車内で突然会話が始まった。それも口論に近い、おだやかならぬ雰囲気に若い運転手は理由もわからず慌てた。

「皆に影響を与えるつもりはない」
「んなこと言ってんじゃねぇ。どうのこうの言ったところで、オレたちの面倒をみれるのは、こういう連中しかいねぇし、うまくやらねぇと」
 内心オロオロしていた運転手ではあったが、どうやら喧嘩ではなく、前の二人が奥の女性に、説教に近いアドバイスを施していることに気づいて少し安心する。
 とはいえ、せっかくの忠告らしいが奥の女性には効果が無いように見えた。

 胸の前で軽く腕を組んだ姿勢のまま、キーリクは答える。
「彼らには切り札がない」
「そりゃ、あいつらに研究所を何とか出来る力はないし、仮に実力行使に出るとしても、相応のリスクを背負うことになる。少佐が相手なら、なおのことだ」
 それはダシコフも考えることであった。
 いくら強力な兵器でも、それを抑止できる安全装置がなければ、実用には耐えない。
 先ほどの担当指揮官は彼らの事を兵器と呼んだが、兵器運用の基礎とも言える不文律が、4人には欠けていた。
 確かに軍人としての教育は一通り受けているし、愛国心が無いとも言えない。しかし、決定的な強制力は皆無だとダシコフは思っている。
 なにより、自分自身に不安を覚えることがあった。能力を行使している時などは特にそうだ。
 蝋燭の炎を吹き消すがごとく、人の生を閉ざすことができるこの力が軍に向けられた時、彼らはどうするのだろう。

「私には、その覚悟が、ある」
 彼女の一言に押されるように、ダシコフは腰を上げた。
「何なんだ?」
 天井に片手をついて、キーリクを見据える。
「おまえたちと、そう変わるものではないよ。たぶん」
 キーリクの言葉が理解できるのに、少し時間がかかった。
 ダシコフの脳裏に、幼い頃の彼を賞賛する声が幾つも響いた。

「すごいよ。オレグ」
「もう一度見せてくれよ、オレグ。すげぇ」

 彼らは皆一様に笑顔で迎えてくれた。貼り付いたような笑顔で。
 ダシコフは久しく忘れていた彼らの好奇の目を思い出した。

 彼の能力に対する周囲の羨望や嫉妬、逆に自分自身が持つ疎外感、それらが時折、不協和音を奏でる。
 研究所の仲間たちは大抵そういった経験があった。
 逆に、周囲とうまくやっていけている者もいるのだろう。ダシコフ自身は会ったことはない。否、一生会うこともないのだろうとダシコフは思う。
 彼らには、能力なぞ必要ないからだ。

 しかし、辛い思い出は記憶の片隅に追いやる事ができる。事実、今までダシコフも忘れていた事である。
 彼は黙ってキーリクを見つめた。

 キーリクは軽くため息をつくと、サングラスを外した。
 元々は青かったのだろう、今では色素の抜けたグレーの双眸が目の前の巨漢を見つめ返す。
「そうか?」
 ダシコフへの問いかけとも、自身へのそれとも思える呟きだった。

 
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