「次が41だから、また『ミ』か。この『やおよろず』ってなんだろう…?」
「それはただの記号ね」
「なるほど、濁点か。すると最後はダになるね」
 少し間をおいて店主はうなった。
「…これは」

 ミ・ツ・ケ・ナ・ミ・ダ

「ある日、信者の元に小包が届くの。総漆塗りで金箔なんか設えてたりして、すごく豪華なその箱には、紙切れが一枚入ってるだけ。単純な暗号なんだけど、そんな事知らない信者は、ありがたい唄だ。って思うだけ。後はご想像におまかせ」
 軽く笑って、店主の反応を見る。
「こないだのガス騒ぎの実行犯が?」
「そう、5人中、3人は確認してる。バラ撒いてたみたいよ。無関係な信者もけっこう持ってたし」

「彼らの布教活動の主体となっている唄が、マインドコントロールとして機能しているのはウラがとれてるの。手持ちの資料だけで、たぶん破防法が適用できるはず」

「そいつはすごい。…でも、手を打たずにいるのは、時期を見てるから?」
 園は首を横に振った。
「組織を解体するのは簡単。でも、それだけじゃ意味ないの。彼は、…教祖である瑠浬辺は、救済会が無くなったとしても、たぶん、なんとも思わない」

「もしかして会ったことある?」
 チョッキの胸ポケットから細身の葉煙草を抜き出すと店主が聞いた。
「一度だけね」
 思わず苦笑してしまった園に、にやりと笑ってみせる店主。
「惨敗?」
「まぁ、そんなとこ」
 ジッポーの金属音が響く。
「でも、とっても良いカンジのオジサンだったわ」
 カウンター上にぶら下がるピンスポットの一つを見上げながら呟いた園は、横を向いて紫煙を漂わせている店主に視線を戻す。
「マスターには負けるけど」
 店主は大きく笑った。
 園は、あの時の事を思い出していた。素性が知れる物を持っていかなくて良かったと、今でも思う。

「なるほど、で、そろそろオジサン気になってきてるんだけど、その3枚目の紙がご登場するわけ?」
 園は破顔した。
「そーなのよー、聞いてくれるぅー?!」
 瑠浬辺救済会には、いわゆる教歌というものがある。それは先ほどのものと比べてとても短い。  その意味がわからないというのだ。
 園は最後の一枚を広げた。

白く、輝く、高く、猛々しく
不破なるかな
三和訪れる

「さっきの法則によると、『せくき』か。なんか身に覚えないの?」
「あったら、マスターに相談してないって」
 愚痴るように言うと、グラス片手に頬杖をつく。
「妙に律義だし、かと思えばヤバいこともしてるし、救済会の行動理念って謎なのよね」
「律義?ヤバい?」
「それはまた説明してあげるわ。それより、コ・レ!」
 グラスを持ちながら器用にカウンター上の紙を指差す。
 店主は、それこそ身を乗り出し気味に教歌を見つめる。
 しかし、一分と持たず、苦笑を洩らす。
「しかし、あれだね。まさか園ちゃんが宗教にハマるなんて」
「あー、はぐらかしてる!そんなことはどーだっていいの!これ考えてよ」
 店主は目の前でせわしなく振られる紙切れを無視して笑った。
「いやいや、可愛いよ。仕事に一生懸命なところなんか、園ちゃんらしくてイイね」

 園はきょとんとすると、両肘をついて店主に顔を近づけた。
「んー?マスター、惚れちゃった?」
 いたずらっぽく笑う。
「うん?知らなかったの?前からそうだよ」
 店主はとぼけた口調で言うと、笑おうとした。

「んじゃ、今晩抱いてくれる?」
 園の一言に、開けた口が一瞬硬直して、遅れて笑い声がでた。
「仕事が恋人じゃなかったっけ?」
 言うに事欠いて、こんなフォローは無いだろう。店主は内心苦笑した。
 園は真剣な表情を店主に向けている。

「そう、それなのよ。マスター」
 店主は理解できていない。
「先輩にしろ、マスターにしろ、同期の伽貫にしたって、『八千草 園』に持つイメージは異なるわ。マスターは仕事大好き人間と見てるし、先輩の場合、目に入れても痛くない超カワイイ後輩だし。それとは反対に周囲のイメージが似たものになると、それで私のステータスが決まってしまう。私自身がどう思っててもおかまいなしにね。社会ってみんなそうよね。周囲の評価が個人の収入を決めてるのよ」
 今まで静かだった店内がひそかにざわめき始めていた。携帯の電子音が時折鳴り響き、何人かがカウンターを通り過ぎて、サイン済みの伝票をキャッシャーに置いていく。
 店主は仕草で見送りながらも、園の言葉を聞いていた。

「事実、個人というものは存在しないのかもしれない。けど、周りの評価に対して、反省したり反抗したりする『自分』は自分じゃないのか」
「マスター、ツケといてね」
 ひときわ張りのある女性の声が園の背後で聞こえた。
 反射的に振り返った園は、スツールに腰掛けた姿勢のまま、声の主に飛びつく。

「だから、本当の姿って、何にでもあると思うんです。そして、それは、きっと『真実』って言われてるものに限りなく近いものだと思うんです。わたしはそれが知りたい」
 右腕に半ば園をぶらさげたベージュ色のスーツを纏った先輩記者は間髪いれずに応えた。
「何を信じるかじゃない。いかに貫き通せるかが重要なのよ」

 一瞬の沈黙。
「って、あんた何時からここに来てたの?」
「シラフなフリして、出来上がってるよ。この人」
 半ばあきれながら、先輩記者を解放した園は改めて周囲の慌ただしさに気づいた。
「なんかあったんですか?」
 その間にも携帯電話を片手に2、3人の記者が足早に出て行く。
 先輩記者は一呼吸おいて口を開いた。すっかり仕事の顔に戻っている。
「横浜米軍基地で爆破テロ。ノースドックもやられたって。基地自体の火災は鎮静したけど民間地域に飛び火中」
 ノースドックとは横浜基地より北東に位置する貯蔵施設である。食料などはもとより薬品、弾薬なども大量に備蓄されている。
「うあ、派手ぇ」
 恐らく号外扱いになるだろう。マスコミ的視点で言えば大きな事件である。園はそんな事を考えていた。
 しかし、店内にいた半分の記者たちが消えている。職業野次馬と皮肉られることもあるが、自分の専門外に首をつっこめるほど記者たちは暇でもない。
 現に園は部外者的な感想を洩らしている。

「まだ確認とってないけど」
 目の前の先輩記者は付け加えるように言った。
「長崎と嘉手納もやられたらしいわ」

 
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