「従来の埋め立て工法と違って、”メガフロート”というのは名前のとおり、大きな浮き島なんですね、これが。で、私も未だに信じられないんですが、浮き島の土台になっているのが、高さ5M、タテヨコ10M四方の箱なんですよ。まぁ、八千草さんは記者さんでらっしゃるから、ご存じだとは思いますがね。でも、中は空洞だから浮力がどうのとか、特殊鋼材を何層も重ねてるから、錆びないだの腐らないだの言われましてもねぇ。私にはピンと来ません」
 卑屈ともとれそうな喋りに一息いれると、男は園を見直した。
『低姿勢な物腰の裏に何が潜んでるかわかったもんじゃないね』
 男に対する園の第一印象は良くなかった。
『でも、大手の営業部長ともなると、どこもこんな感じだけど』
 豪奢なソファに浅く腰掛けている園は微笑んで先を促す。こういう場面での営業スマイルは完璧だ。

「日本のサラリーマンなんて皆こんな具合だから、ウチみたいのがあっさり落札できたんですね。お役所はお役所で、やれ音速旅客機の滑走路が必要だとか、首都圏の土地枯渇がのっぴきならない所まできてるだとか、”メガフロート”が実用可能になってからの企画が目白押しらしくてね。かなり譲歩してもらいましたよ。ええ、ここだけの話。あ、でもこの辺の話は八千草さんの方がお詳しいかもしれませんね。失礼しました」
 園は謙遜混じりの返事を適当に返すと、視線だけで周囲を見回す。
 木目内張りの内装に既製品とはおもえない調度品。高級感を台無しにしないよう配慮されたソレは天井の片隅2カ所に設置されていた。
 外に連れ出しての取材も考えたが存外、杞憂だったようだ。
 確かに警備カメラは動いていない。濫訴社会と形容されるお国柄だろうか、約束事には厳密だ。

「でも、なんだかんだ言って、来月でまる2年の稼働になりますが大きな事故もなくて、もちろんウチの企業努力もあるんでしょうが、大阪府の方々とか新浜市民の方々など、さまざまな方面のご尽力あっての賜物だと思う次第です」
 一通り演説をぶって、茶なぞすすっている30代後半の男に、園はライダースーツに羽織ったフライトジャケットから小さな機械を取り出しながら言った。

「すみません。録音してもよろしいですか?」
 男は上体をのけぞらせて大げさに笑った。
「あいたたた、見事にかわされちゃったわけですね、私の得意技が」
 園は男に合わせて笑うと、電源を入れたMDレコーダーをテーブルに置いた。
 一昔前に流行したマグネシウムフレームのボディに青く光るLEDが側面に並んでいる。型式が古いものなのか、通常のレコーダーより分厚く見えた。
 園は背筋を伸ばして男の目をまっすぐに捕らえることで、部屋の空気を正す。

「瑠璃辺救済会が明日、あさってにわたって大規模な抗議デモを大阪で行う事についてコメントいただけますか?」
「はい、結構話題になってますよね。でも電力会社なんてものは、工場一つ建てようものなら、多かれ少なかれそういった団体の方とお話しないと駄目なんですよね。でも今回は半分お役所のお仕事をやってるみたいなもんですから、デモ行為に意味があるものとは思えません」
 既に何度も口にしている台詞なのだろう、男に澱みはまったくなかった。

「余裕ですね。ではデモ自体を取りやめさせなかったのは救済会のメンツを考慮して?」
 園は得意気な笑みを浮かべ、そっと瞳を閉じた。
 反して、男の笑顔が目元の部分だけ消える。

「まいりましたね。よくご存じで」
 台詞を言い切る直前に営業部長は大きな咳を3度繰り返した。
 喘息かなにかかと思えるほど、ひどい咳だったが、園は目を閉じたままだ。
 男に向けられたレコーダー後部のLEDが赤色に変わっていた。

「まぁ、そんな訳ですから、あさってのデモに対して我が社はなにも考えていません。通常どおり業務を行うだけです」
 男から笑顔が完全に消えていた。声のトーンも下がっている。
 変わらないのは飄々とした口調だけだ。なんとも違和感がある。

「よろしいですか、貴女が何を探っているのかは知りませんが、ウチには何もありません。真っ白け、清廉潔白で健全な企業です。覚えておいてくださいね。では、そろそろお帰り願いましょうか。あ、忘れるところでした。今の部分はレコーダーから削除しておくように」
 ここにきて、園はようやく瞼をゆっくり開いた。何かを探るような実に緩慢とした動作だった。

「なるほど、海山広報部長としてはそういう見解でよろしいのですね」
「はい、そういうことになりますか」
 営業部長は明瞭な返事をかえした。先ほどまで消えていた笑顔が戻っている。
「では、ここからは瑠璃辺救済会横浜支部長として答えていただきます。準備はよろしいですか」
 もう一つの肩書きで呼ばれた男はにべもなく、首を縦に振った。

「日本国内での主要スポンサーの一つになぜ抗議デモなど行うのですか?いえ、それは何かの偽装なのですか?」
「それに関しては正直私も困惑している次第で、そもそも救済会の指揮系統は…」
「いえ、その話は結構です。ということは、今回も瑠璃辺教祖からの勅命なのですね」
「お言葉ですが、私共は常に瑠璃辺教祖のご意向に従って活動しております。それは今回の件に限らず全ての事柄においてです」
「これは失礼。ですが、5千人強という信者を参集しておきながら、瑠璃辺教祖がその場に居ないというのはどういうことでしょう」

 支部長は沈黙した。
「…本当ですか?」
 園は小さく肩をすくめる。
「海山さん、気を楽にしてください。ホラ、肩の力を抜いて」
 支部長は園の仕草ではなく、言葉に反応して、緊張を弛めた。
「もう一度お尋ねします。瑠璃辺教祖はなぜ大阪に現れないのですか?」
 再び間をおいた支部長はうっすらと笑みを浮かべた。今までの上辺だけのものとは違う、意味のある笑みだった。
「彼にこれ以上の暗示は危険ですよ」
 口調すら変わった支部長の台詞に、園は血の気が引いていくのを体感した。
 男は間をおいて再び口を開いた。まるで園に恐怖が行き渡るのを確認したように。
「どうにも邪気がすぎたようですね」
 声こそ目の前の男のものだが、園は本当の声の主がだれか解っていた。
 同時に半年前、声の主と初めて会った時のことを思い出していた。

 鋼鉄どうしが擦れる音。獣の悲鳴にも似たそれは、未だに園の耳に残っている。

 大した話をしたわけでもなかったが、初めて救済会に乗り込んであの男と直接会えた行幸に満足していたあの日、園は駅のホームで投身自殺をはかった。
 無論、彼女に自殺する理由なぞなかった。
 車両の減速と飛び降りるタイミングが微妙にずれたため、命に別状はなく腕の骨折程度ですんだのは奇跡というやつだったのかもしれない。

 事前にかけた暗示をあるきっかけで覚醒するよう、これもまた暗示しておく。
 園には、いわゆる後催眠がかけられていた。
 後催眠を解く方法は、暗示された”きっかけ”を解くことを意味する。
 術者によって施される後催眠を呼び起こす”きっかけ”は、場面、時間、言動や現象と多岐にわたり高度な術者にかかると、それらの要素を複数組み合わせる事も出来る。”きっかけ”を特定するには後催眠を何度も覚醒させ、共通する現象を特定するしかない。
 彼女は1ヶ月間、外出が出来なかった。
 見えない恐怖は彼女の影にひそんでいて、今ゆっくりと鎌首をもたげはじめた。

「恥じる事はありません。外見は大人であっても、常に童心というものはあるのです。あなたの場合、ちょっとしたはずみで悪戯心に変わってしまっただけです」
 こちらの奸計が露見している。
 いますぐこの場を離れなければ、新たな後催眠をかけられるかもしれない。
 焦燥と恐怖が彼女の中で駆けめぐっていた。
 それでも、身体がソファから離れようとしない。
 動揺が恐怖に拍車を掛ける。すでになんらかの暗示が施されてしまったのか。

「とはいえ、けじめはちゃんとつけておかないといけません」
 男の口調は変わらない。
 園には、男がこの状況を楽しんでいるように見えた。
「そこのペーパーナイフでこの男の頸動脈を切ってみましょうか?」
 男は顎で後ろの机を指す。
「あぁ、それだけじゃ緊迫感が足りませんね。そう、助けを呼ばないと。たとえば…」
 男は芝居がかった口調で「助けて、こいつらに殺される」と言うと口元を歪めて笑みを浮かべた。
「…なんてのはどうですか?」

 園は我に返った。
 はじめは目の前の男が瑠璃辺教祖なのかと思った。しかしすぐさま払拭され、今度は教祖がなんらかの仕掛けで男を操っているのだと考えた。
 普通の会話の中に暗示を織り込めるような人間だ。このような芸当もできるのかもしれない。
 そこで思考は停止していた。

 だが、男は最初に園を「あなた」と呼び、今は「こいつら」と言った。
 感情で麻痺していた思考が急速に研ぎ澄まされていく。
 これも後催眠だ。男は暗示に掛けられているだけで、決められた台詞を吐いているだけだ。音声式の自動販売機となんら変わりない。

 冷静さが戻って恐怖が消え去ると、代わりに怒りがわき上がってきた。
 自殺未遂の後、部屋に閉じこもっていた彼女が決心した時も怒りがきっかけだった。
 彼らは法に抵触することなく障害となる人間を排除することができる。一ヶ月の間、いつ覚醒するとも知れない後催眠におびえながら、幾度も救済会から手を引く事を考えた。
 しかし、ここまで踏み込めたのも事実である。救済会は人の意識を操作できるという事実。それを会の利権に利用している事実。
 彼女は苛立つ。それらの事実を霧散させようとしている自分に腹が立った。
 だからその後の彼女の決心はプライドを傷つけられた上での自暴自棄といえなくもない。

 園は支部長の取材を再開しようとしたが、踏みとどまる。
「私は全てが知りたい」
 口の中で呟いて、昇った血を引き下げた。
 これはただの脅しだろうか。彼女は首を振る。少し嗅ぎ回っただけで殺そうとする相手に甘さを求めてはいけない。
 こちらの出方によっては、「男の頸動脈を切る」暗示を覚醒させる”きっかけ”に触れてしまうかもしれない。
 手元のMDレコーダーを見る。LEDは赤いままだ。
 男は再び暗示を掛けようとしている。
『今日はここまでね』
 ”脅し”の後に続きがあると判断した園は、男の暗示に掛かったフリをすることにした。


 
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