「はじめに”きっかけ”が何か口にするなんて、らしくないよねぇ」
 エレベーターに乗り込んだ園は、一息つくとひとり愚痴った。
 なにしろ、救済会の情報を得る手段が封じられてしまった。信者と直接話せて、なおかつ園が取材した事実すら隠蔽できてしまう安全確実な方法だった。
 また、救済会の原動力となる十八番を逆手に取ったこの方法は、結果としてではあるが命がけで確立したと言っても良いものだったので、やはり園は悔しかった。

 しかし幹部連中だけでも100人弱。全員に後催眠を施すとは思えない。
 厳密に言えば完全に封じられたわけではないと園は予測するのだが、それでもこの手は使わないことに園は決めた。用心に越したことはないし、なにより――
「あんなのは二度とごめんだわ」
 鋼鉄の悲鳴が耳をよぎった。

 エレベーターは外壁に沿って設置されていたので、強化ガラスのシャフト越しに外が一望できた。
 じりじりと視界にせり上がってくる風景は灰色の空に覆われている。気分を紛らわせたかった園にとって逆に滅入らせる結果となった。
 あきらめて視界を中に戻そうとしたとき、地上の一点が彼女を釘付けにした。
 しばし凝視する。

 事前に取り交わしているのは応接室内での撮影・録音の禁止だけだ。
 ところかまわず独り言を漏らす悪癖に気づいた彼女は口元に手をあてて、言葉を飲み込んだ。
 そして、内ポケットに手をしのばせ、財布とMDレコーダーに挟まれた紙切れに触れる。

 1階でエレベーターを降りた園は、広いホールを大股で通り抜け、外に出ると路上を見回す。
 大通りから外れた作業車用通路に目的のバンを見つけた園は、しばらく歩道を進んで車道を渡った。

 運転席側のドアの前に立つと、眼鏡を外し呼吸を整え、最高の作り笑いを浮かべる。
 窓をノックしながら、内ポケットから取り出したプリントアウトを車内から見えるようにヒラヒラさせる。
 デジタルビデオから出力された写真画質のプリントアウトには、目の前の白いバンとその傍らに大柄な男と黒ずくめの男が中年サラリーマン風体を囲んでいる情景が写っていた。
 偏光ガラス越しで車内の人物はシルエットでしか見えなかったが、園は予想がついた。
 内心舌打ちする。
『頭悪そうなほうだ』
 男の影は彼女が持つ写真に反応を示した。電子音とともに窓が少しだけ開く。
「反対にまわって後ろのドアから入れ」
 写真から類推した男の身長は180センチ強。強面巨漢な男の声はドスの効いた、やはりらしい声だった。
 ただのヤクザとかだったらどうしよう、などと少し不安にかられながら、わざとバンの後ろ伝いに反対側へまわる。
 心と身の回りの準備を整える。

『あとは…出来事自体をもみ消せる連中だね』
 先輩記者の言葉を頭の中で反芻すると、園はスライド式のドアに手を掛けた。
 中は暗闇で車内灯などもなかった。代わりにディスプレイのぼやけた明かりが正面にいくつかと、それに浮かぶパソコンらしきシルエットが、ふたかたまりほど確認できた。
 否、確認できたのはそこまでだった。
 両手が後ろに引っ張られた、と彼女が理解したとき一瞬天地が逆さまになる。
 そのままシートに頭から落とされる。声を出す間もない。

 ドアが閉められる音と同時に園は顔を上げた。
「誤解よ、まって待って、話が聞きたいだけなの」
 視界はほとんどなく、誰が周囲にいるのかもはっきりしない。このような場面での沈黙は状況を悪化させこそすれ好転させることはない。
 園は相手を刺激せず、なおかつ本人の行動に疑問を持たせるような言葉を選んで喋り続けようとした。
 途端、鳩尾に鈍痛が走る。園は骨のきしむ音を聞いた。

「うるせぇ、黙れ」
 先ほどの男の声が近くから聞こえた。
 呼吸困難に陥り、咳をまきちらしながら園は頭に血が上ってくるの感じていた。
 なんて芸のない台詞なんだろう。
 男のチンピラ臭い能のない態度は園をずいぶん癪に障らせたが、その程度の男にあっさり拉致される自分にも腹が立った。

 ジャケットから改造スタンガンを取りだそうとして、園はようやく両手が自由でない事に気づいた。それも、手錠などの拘束具ではなく、彼女が元から着ていたフライトジャケットをねじるようにずり下げた結果が両手を縛っていた。
 男は園が運転席のドアを離れてからずっと園の背後にいたのだ。
 そして何の準備もないまま園の自由をあっさり奪い取ると畳み込むように車内に拉致した。
 手際が良い。
 そう思うに至って園は拉致後の扱いも無駄がないことに気づいた。
 効果的な一撃と、こちらに余分な情報を与えないよう配慮された短く簡潔な言葉。
 そこらのヤクザとは違う。

 自由を奪われ、狭い車内のシートに転がされている状況は決して喜べるものではなかったが、相手に計算を含んだ冷静さを感じとった園は内心安堵した。
「げ」
 はじめ園には声だか音だかわからなかった。
「げはは」
 それが男の笑い声だと分かると、今しがたまで射していた光明がにわかに怪しくなった。

「よし、その辺にしとけ」
 突然差し込んだ明かりに目を細めながら園は別の男の声を聞いた。
「まだなにもしちゃいませんよ」
 先ほどからの男はシートに横たえられた園の目の前で屈み込んでいた。
 背後からの明かりで姿は影でしかなかったが、ふざけた口調で言い訳しながら、ヒラヒラさせている右手に握られた大振りのナイフははっきり分かった。

「俺に引き金を引かすな」
 新しい男の声は大男の背後から聞こえた。その一言はナイフの存在以上に園を緊張させるに充分な内容だった。
 大男は左手で紙切れをつまみ上げて後ろへ指し示しながら、園とは反対にさきほどと変わらぬ様子で言った。
「これ、見てくださいよ田中さん、こいつは」
 台詞はパカンという乾いた音で遮られた。


 
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