「でも話は聞いてくれるわけね」 未だ車内は硝煙の臭いが充満している。 目の前の男が銃を持っているのは確かだった。それどころか、仲間と思える人間すら撃ってしまえる神経の持ち主らしい。 全身から嫌な汗がにじんでいた。身体は横たえられたままなので、左腕の袖から汗が滴っているのではないかと思わせるくらいだった。 身体の反応とは反対に園の思考はこの状況をチャンスだとさえ考えていた。 我ながら自暴自棄なのでは、と園は自身を疑う。しかし先ほどの状況で男が田中と呼ばれていた事を覚えている自分は、確かに冷静なのだと言い聞かせた。 それでも、長い沈黙の後にいきなり襟首を掴まれたときは死を予感した。 予想外に男は園の上体を起こしてくれたのだった。 いささか乱暴ではあったが、これからの話を円滑に進めるためにも礼の一言でも言っておこうかと思った矢先、悪寒が走る。 車内はほとんど暗闇なので定かではないが、だれかの手が園の胸に触れているのがわかった。 続いてライダースーツのジッパーに手をかけた。 腹立たしさを通り過ぎ、園は呆れていた。同時に彼女は、これを取引材料に話を有利に進める算段をはじめていた。 園の予想とはうらはらに男の手はスーツの内ポケットを探るだけで、メモや小物を慣れた手つきで抜き出していく。 こちらに興味がないのであればボディチェックなど必要ない。引き金を引いてからゆっくり調べればよいからだ。園は概ね安堵しつつ、少しだけ落胆した。取引材料を一つ失ったからだ。 ともあれ、事態は好転している。園は静かに口火を切った。 「国権としてもやっかいな相手よね、救済会は。最初にはっきりさせときたいのが、私がここにいるのはあなた達の行動を詮索するために来たわけではないということ。OK?」 意図的に問いかけてみたが、暗闇から返事はなく、ボディチェックも休まることはなかった。 園は自己紹介で相手を喋らせる手も諦めた。 「別に救済会が潰されようと私には関係ない。ただ、事実が知りたいだけ。そちらも知ってると思うけど、救済会は普通の宗教団体やカルト集団と異なる点がいくつかあるわ」 宗教団体に対する園の視点は、企業法人に対するそれと酷似している。 救済会に関わるため、園は他の宗教団体を手当たり次第に調査した結果、大概の団体は営利目的を主としている結論に至ったためだ。 日本特有の、対外干渉が希薄な海に囲まれた風土や、物事の判断を曖昧にしてしまうフレキシブルな民族思想は、近年において異宗教間の衝突を防いでいた。平穏は緊張を喪失させる。日本人が他の国より宗教に対する意識比重が低くなるのは自然なことだった。 それだけに新興宗教を根付かせるのは容易ではないし、そもそも必然がない。そのため昨今、新興宗教と俗称される団体は本来の意義から若干偏った組織が多くなった。 新興宗教イコール営利団体であるという視点での園の救済会に対する評価は高かった。 いわゆる布施と言われる信者からの上納金は、企業で言うところの総務部にあたるグループが一手に管理している。その運用は限りなくクリーンで、救済会が所有している施設などの物件以外の資産はほとんど無いに等しく、世間一般で優良企業といわれる組織でもまねできないほど徹底している。 かといって、今日園が訪れた電力会社のように秘密裏なスポンサーやその他・営利団体などとの癒着がないはずもなく、裏金がないわけではないが、それらは一切表には出てこない。 あくまで『裏の顔』を維持するために使われていて、資金繰りの割り切りが徹底しているのは『表の顔』の健全さから推し量ることができた。 ともすれば2つの全く毛色の異なる組織があって、瑠璃辺教祖ただ一人でかろうじて結びついている、という図式を想像させる。 しかしこれも正しい認識ではない。厳密に言えばどちらの組織も構成するのは会の信者たちである。彼らには裏も表もない。 問題は『裏の顔』自体の存在理由だった。 救済会は新興宗教としては成功している部類にはいる。危険思想を持っているわけでも、政治力を傘にしているわけでもない。確かに元信者との民事訴訟をいくつか抱えてはいるが、その内容や数は他の団体と変わらない。つまり今のところ救済会が驚異と感じる敵はいないのである。 本来『裏の顔』とは組織と現実社会との齟齬を埋めるために存在する。そのため、救済会に関して『裏の顔』は必然ではない。あえて必要だったとしてもヤクザを雇って済むレベルの問題しか抱えておらず、テロまがいの武闘集団はやはり必要ない。 「情報が不足しているの。その矛盾を埋めるためのね」 園は一息つくと、男がいると思われる方向を上目遣いでにらむ。 「…私だけ喋らせるつもり?」 「俺たちがオマエの言うとおりな人間だとして、文屋一人を相手にすると思うか?記者一人行方不明にすることも簡単に出来ると思わないか?」 男は思いのほか慎重だった。未だに同じ場に立とうとせず、あくまで主導権を握ろうとしている。 「なに、一から言わないとわからないの?」 園は嘲りをふくんだため息を返した。 「昨日あなた達が手に掛けたのは救済会の幹部でしょう?そこまでやっておいて、未だにこんなとこで張り込み、…っていうの?そんなのやってるって事はロクな情報が入らなかったわけでしょ」 さきほどのボディチェックで分かったことだが、どうやら男は暗闇でも園の姿が見えるらしい。つまり状況の主導権は男にある。 それだけに園は交渉の主導権を握りたかった。 相手を煽って冷静さを失わすことで交渉を有利に進める。 銃器所持者に対して適切とは言いがたい手段であるが、この男には通用するのではないかと園は考えた。 男が政府を背景とした非合法組織の人間だとすると、優越的立場からの交渉に慣れてしまっているのではないか。国権という免罪符をもつ人間に噛みつく者は少ないはずだ。 「彼らのコントロールを解くのはやっかいよ」 煽ったあとはなだめすかす。 「…なんでそこまで知ってる」 園は信者と話す際、録音と称して用意したMDレコーダを通して信者の話を聞いている。 市販MDレコーダのイコライザー部分を改造した簡単なものだったが、効果はてきめんだった。 音域がしぼられているため、聞き取りづらいのは否めないが、イコライザーという音のフィルターを通した信者の声からはたしかに暗示効果がそぎ取られていた。 自殺未遂の後、救済会との対峙を決意した園が、まっさきに調べたのが後催眠についてだった。 そのころすでに一部のマスコミ内部で、救済会の人間は魔法を使う、と噂されており、さらに園と同じく魔法の正体が後催眠であることに気づいている人間も少なからずいた。 主に元信者や園の同業者である彼らの見解は総じて、救済会の人間は日常会話のなかに暗示を忍ばせる術を知っている、というものだった。 なんら確証もなく、仮説というには説得力のないこの説を園は信じた。それは彼女自身の体験が後押ししたのかもしれなかった。 「思い切った事をしたものだな」 誉めているのか批判しているのかわからない台詞だったが、確かに男の声には感嘆が混じっていた。 「しかしそれだと、自分の声で信者自身も暗示にかかるんじゃないのか?」 「暗示なんて、メンタルなものなのよ。自分が施してるとわかっていれば意味を成さない」 園はすこし得意になっていた。いままで誰にも話していない事柄ばかりだったので無理もないかもしれない。 笑みを浮かべて彼女は続けた。 「そう、自分だとわかっていれば、ね」 現在、園が使っているMDレコーダは2枚のMDを同時に操作できる。1枚は録音兼フィルターとして、もう1枚は以前録音した信者の談話から、暗示効果がそぎとられた部分以外の音域を再生するためである。 園は信者と対談しながら、相手に逆暗示を施す方法を確立していた。 「私を失望させないでよね」 そうしめくくった園の言葉を闇からの声が継いだ。 「失望させついでで悪いが、我々はこの件から手を引く」 さらりとした口調だったが、園にはそれなりにこたえた。 生命の危険と引き替えに挑んだ交渉だったのに、などという類の後悔ではなく、―そもそも園にそういった危機感は薄かった―大事な約束を破られたときの虚しさに近かった。 おそらく国内最高の組織力を持つ彼らを、園は純粋に情報源としてアテにしていた。 同時に彼らが救済会から手を退く理由が気になった。好奇心が枯渇してはこの商売は成り立たない。そういう意味で園は充分ジャーナリストだった。 「あれでしょ?昨晩のテロ」 半ばあてずっぽうだった園の問いに男は、まあな、と軽い口調で答えた。 「あれも気になるのよね。なんか嫌らしいタイミングだし」 「救済会にあれほどの事はできない」 園は救済会との関連を考えて嫌なタイミングだと言ったのだが、男の方が救済会を引き合いにだしてくるとは思わなかった。 「そうね。けど抗議デモの直前だなんて」 「DE社のか?」 「そうよ、それ以外に…」 園は言葉を切ると、逡巡したあげく苦笑を浮かべて言葉を続けた。 「まぁいいわ、もとからなんでも喋るつもりでいたし」 「理解が早くて助かる」 口調に変化はなかったが、闇の中で男は笑みを浮かべている、そう園は決めつけた。 「いろいろ疑問点の多い救済会だけど、今直面してるのがソレ…」 園も気付いていないが、監禁する側とされる側という緊張感は車内から消えていた。 「…明日、あさってと、救済会が大阪で大規模な抗議デモを展開するわ。どういうわけかテーマは環境汚染。対象は紀伊半島から60キロ彼方に浮かぶ巨大な発電施設、通称”メガ・フロート”、つまり相手は救済会の主要スポンサーの一つであるDE社ってわけ」 |
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