『こちら4号車』
 ノイズに混じった男の声が聞こえる。
『目標視認しました。黒のメルセデス・バン、ナンバーは……』
 車中の男はインカムから聞こえる数値と手元のPDAに表示された車番を照らし合わせる。
「よし、予定どおりだな」
 男は暖房で曇ったガラスを拭いてドアミラーを覗く。
 カウンター付き歩行者信号のさらに奥、JRの高架下に停車中の4トントラックを確認する。
「ギリギリではありましたがネ」
 運転席に収まっている男が妙なイントネーションで応えた。
 助手席の男は黒ずくめのスーツ姿で、ご丁寧にサングラスまで掛けている。
 対する運転席の男はブルーカラー風で、ツバの短い作業帽にナイロンジャンパー姿だ。よほど着込んでいるのか、生地が厚いのか着膨れしている。

 助手席の男はサングラス越しに睨み返した。
「いや、誉めているんですヨ、ラングレーの連中の1割にも満たない規模でヤツらに追いつけたんだかラ」
 運転席の男の台詞に助手席の男は鼻息を鳴らした。フォローのつもりらしいが、語調には誠意の欠片もない。
 会ってまだ半日ほどしか経っていないにもかかわらず、この男とまともに話す気を無くしていた。
 それでも彼は口を開いた。ここで訂正しておかなければ、仕事に対するプライドがひどく傷つけられる気がしたからだ。
「これは入管局の失態だ」

 警視庁公安課と入国管理局は事実上身内同然で、本来なら彼は弁護する立場である。
 しかしながら、今回の出遅れに関しては寛容になれなかった。
 一日遅れでキーリクたちの入国を知った公安は、すぐさまロシア大使館に勧告。すでに東京から離れている事を知って彼らは慌てた。
 直接大使館におこなった脅迫まがいの勧告が外務省にバレて一時足止めを食らうも、裏ルートを駆使してどうにかキーリクたちを補足できたのが7時間前。事態の早期解決を狙う公安本部は、ロシア大使館への正式抗議の手続きと平行して、キーリクたちの更迭を決定した。

「そうだ、前衛4、後衛2でいく。バックアップの2人は突撃ライフルを持たせろ」
 運転席の男は、首から下げたインカムに指示を出している。一旦日本語で指示し、同じ事を英語で再度言い直している。

 あくまで平和的に交渉せよ、とは公安本部の命令であるが、運転席の男に一瞥くれると、そんなものが建前でしかないことは分かる。
 実際、現場に展開している車両はこのセダンを含めて5台になるが、うち4台は府警の偽装トラックで、武装警官が満載されている。しかし交渉役は彼一人である。
 本来こういった危険な展開をはらんだ交渉事には陸自のカウンターテロが護衛として同行するのだが、今回は地元SATがその役割を担うことになった。
 おもに時間的制約が原因である。

 発足当初よりSATの装備の充実ぶりは警察機構の部隊にしては異例で、携行火器であれば一通り装備することができた。
 また、重犯罪の増加にともない部隊拡張が続けざまに行われていて、要員確保が国内でまかなえなくなってきていた。つまり、プロを輸入している。
 元海兵隊員や現役の傭兵を雇うことでSATの練度は自動的に上がる。バラつきはあるだろうが、この間までソマリアやコロンビアにいた連中である。陸自に勝る戦闘力を持った部隊があってもおかしくはない。
 総合的にSATに対する彼の評価は高い。
 戦力的な不満は無かった。

 だが、正規の教育をまともに受けていない彼らは、スタンドプレーを好み、協調性に欠ける。
 少しでもソリが合わなければ主観に走り、こちらの意見を聞かなくなる者もいる。今回SATを指揮する隣の男も、そういった種類の人間だと感じられた。

『1号車クリアです』
『2号車クリア』
「なにごとだ」
 助手席の男は、インカムの向こう側にも、隣の男にも聞こえるように言った。
『3号車クリア』
「おい」
 今度ははっきりと、隣の男に対して声を荒げる。
 応える代わりに運転席の男はエンジンを切ると、独り言のように呟きはじめた。
「自分はアフガンの時は前線にいたので、ソ連の片田舎で起こった事件は知らないんですヨ」
 外から聞こえる雑踏が、車内の静寂をより際だたせた。

「でも噂はよく聞きましたヨ。RPGの弾頭をたたき落としたとか、戦車を蒸発させたとかネ。まぁ、どこの戦場にもこういった噂はあるんですがネ……」
 ハンドルに両腕を預けて男は苦笑した。
「しかし、本当に怖いのは……いや、ヤツが『悪魔』と呼ばれたのは、そのせいじゃない、ヤツに一切の見境がなかったからだ。政府軍もゲリラも関係ない。調停にきたNATOだって例外じゃなかった。戦場で怖いモノの一つですヨ、敵味方、分別がつかない相手ってのはネ」
 男はようやく助手席の方に顔を向ける。
 促されるように、助手席の男は非公開の国際指名手配犯の渾名を呟いた。

「グルツヌイの悪魔」
 国内では機密扱いされているが、外では有名だという。
 運転席の男がその名を知っていても不思議ではなかった。

「教会の人間が保護したのはロウスクールも出てないガキだったって話ですが、にわかには信じられませんナ」
 運転席の男が補足して笑う。
 インカムが受信音を鳴らしたのはその直後だった。

『4号車、クリア』
「遅いぞ」
 間髪いれず運転席の男が戒める。

『それが……』
「なにか問題か?」
 言い淀むインカムの声は助手席の男にも聞こえていた。
 なにをクリアして、なにが問題なのか。嫌な汗が背筋をつたう。

『兵庫県警からの支援組、2名を処理しました』
 言葉の意味を完全に理解する前に助手席の男は脇のホルスターからグロックを抜いた。
 しかし相手に向けられた銃口はガバメントのモノだった。長年使い込まれたせいで型番すらわからない。

「予想範囲だ。4号車はバックアップを1人にしろ」
 ホルスターから半分だけ銃身を引き出したままの姿勢で固まる男を後目に、SAT指揮官は銃を突きつけたまま、変わらぬ口調で応対していた。

「だれの指示だ」
「府警でも本庁でもないですよ。自分の独断でもない……。その中間ってところですナ。だから府警本部前まで連れていくのは頂けない」
 助手席の男は相手の表情と、突きつけられた銃口を見比べる。
 照星と照門をむすぶ延長線上に自分の眉間がある。やはり冗談ではないらしい。

「噂を真に受けるわけじゃありませんが、グルツヌイの悪魔の事はほとんどわかっていない。でも一つだけはっきりしていることがある」
 冗談でないのなら、何故すぐに撃たないのか、男はSAT指揮官の指がトリガーに掛かっていない事を確認した。相手は取引をもちかけているらしい。

「地元の軍隊はおろかNATOにまで刃向かっておいて、教会の人間にあっさり捕まった。ヤツは兵隊以外には手を出さないってことです」
 すぐに殺されるわけではないと分かった男は冷静になっていた。それだけに相手の言葉がするりと入ってくる。

「ここは、ロケーションとして最適だと思いませんか?」
 目の前の男は警官にあるまじき発言をしている。

「どうです、交渉といっても、どのみち音便に済ませられるとは思ってないんでしょう?だったらあなたたちがやっても我々がやっても同じ事だ」
 銃口を突きつけられたまま男は顔を上げる。
 取引かと思ったが、そんな穏やかなものではないらしい。

 しばし沈黙が流れた。


 
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