いかにも公共の場らしい、くすんだ色のタイルが見える。
 はじめの頃はそれなりに見栄えしたかもしれない。整然と同じ顔をしていたはずなのに、日々雑踏にさらされて、今では全てがいびつになっていた。

「……って、だってここにいるのは」
「けど、これは……いくらなんでも突拍子無さ過ぎるかも」
「結局、部長にも連絡入れてないし、……ってそんなことより、今のいままでお母さんに黙ってたなんて、どうしてこんな……」
 うつむいて、呟くというよりも、呪文でも唱えているかのようだったまなみは、ゆっくり顔を上げると改めて周囲を見回した。
 ふと、地元の女子高生らしき人影が目に止まった。
 視界に入るほとんどの人は右へ左へ流れているのに、彼女だけ駅の入り口の隅っこで突っ立っていたからだ。
 そこへ大学生とおぼしき男の子が駆け寄ってくる。
「ウソ!」
 まなみはとっさに両手で口をふさいだ。
 目の前の光景は、今日、自分が体験するはずだった光景に似ていた。それも大阪ではなく東京で。
「なんで……」
 自分の両肩を抱いて、また俯く。
「なんで忘れてんの、私……なんでそんなに急いで……」
 きつく、きつく抱きしめる。消え去らないように、無くなっていないことを確認するかのように。

 鈴の音がなる。
 はっきり鈴だと自己主張できていない、雑踏にまぎれたかすかな音だ。
 ころり、ともう一度鳴る。
 それはまなみの前に立つ二人の青年によるものだった。
 ラフな出で立ちの地元民風と、スポーツバッグをぶら下げた旅行者風がまなみを見下ろしている。
 印象の異なる二人だが、右手首に巻き付けた鈴だけは同じ物だった。

 小さくうずくまる少女の姿は、待ち合わせや、ただヒマを潰している他の者とは明らかに異なる。
 しばし様子を見ていた二人は一度顔を見合わせると、旅行者風が頷いて、心配そうな表情でまなみに近づいて腰をかがめた。

「あの」
 肩に触れようと手をさしのべた時、彼はそれがかすかに震えていることに気づいた。

「ん、んふふふふ」
 ゆらりと立ち上がるまなみ。
 不気味な含み笑いに、思わず半歩飛び退く旅行者風。

「そうよ、こんなところでグズグズしてらんない」
 俯いたまま、ぶんっと右腕を目の前に突き出す。左右に飛び退く二人。
「言葉と時間だけの積み重ねでできた絆なんかに負けるもんですかっ。例え親だろうと彼氏だろうと、なんぴとたりとも邪魔させないわ。絶対……」
 二呼吸ほど溜める。
「ぜったい、ハナルに会うんだから」
 突き出した拳を決意の眼差しでじっと見つめる。当然のごとく青年二人は見えていない。
「ん?」
 拳の向こうの黒いセダンが目にとまる。自己陶酔の世界が急速に冷めてくる。
 窓ガラスが曇っていて中はよく見えないが、二人分の影が写っている。動きはない。
 足元から鳥肌がかけのぼる。

 一人がもう一人に決断を迫っている。
 それは究極的で、かつ絶望的な選択。車内の緊張がドアの隙間から漏れて、みるみる周囲に拡散する。
「うあ、ヤバいって」
 呟くと、まなみは慌てて足元のバックパックを拾い上げ、青年二人の目の前から姿を消した。人混みの少ない方向へ駆け出す。
 直後、パンという音とともにセダンの窓ガラスが歩道に飛び散った。


 
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