状況は一方的な蹂躙戦となっていた。
 アスファルトを剥がし、車両を跳ね上げる。
 圧倒的な破壊力をもってして繰り出される鎌首に、対するSATは布陣を整えることすらかなわない。
 すでにチームとしての作戦行動は出来ないでいた。けれど、本能的に一方向に集まり、火線を集中させることで活路を見いだそうとしている彼らは、精鋭とは言えないまでも優秀な兵隊であるといえた。

 ギリギリでかわしきった、と男は思った。
 だが、一瞬の痛みに、取り残された右腕が、陽炎の大蛇に飲まれたことを悟る。

 男は大蛇が、質量を持った打撃兵器のようなものだと思っていた。巨大なハンマー、そんな風に考えていた。
 しかし、大蛇に飲まれた瞬間の痛みに、外からの圧迫感は無かった。どちらかといえば、自分自身に自分自身が押しつぶされていくような感覚。
 彼は航空機を用いた耐横G訓練や、アンダーウォーターからの上陸ミッションで、魚雷管から静音射出された時のことを思い出していた。

 這々の体でスクラップと化した車両に転がり込む。
 周囲に注意しながら右腕の傷を確認する。恐らく失血しているだろうから、応急処置だけでも施さねば戦線復帰もままならない。
 防片マスクの下で彼の表情が硬直する。
 確かに右腕、正確には肘から下が無くなっていた。
 だが彼の驚きはそのせいではない。傷口から数十センチまでが黒く焦げている。先端においては、元が肉だったのか骨だったのか判別不能なほど炭化していて、いまでも消し炭となった組織がボロボロと砕け落ちる。そのせいか痛みは全くなかった。

 およそ10Gに加圧された反重力の塊。

 ソーニャが『重力のアギト』と称した、巨大な大蛇の正体である。
 クリスタル細工を思わせる周囲を覆う陽炎は、異なる重力の狭間でせめぎあう空気中の原子がプラズマ化し、加熱したためだ。
 そのため、『重力のアギト』に触れれば焼き溶かされ、飲み込まれれば10倍に増した自身の質量に押し潰される。

 まともな教育も受けず、幼少の頃から各国の紛争地帯を仕事場としてきた彼に、そういった構成が解ったかどうか知れない。
 しかし、目の前の脅威が今までの戦場のそれと違うことは解った。
 そしてそれに対抗する手段が自分に無いという事実に身を凍らせる。
 そもそも目標のロシア人と対峙した時点で勝負は見えていた。
 なんの装備もなしに、銃弾をものともしない相手なぞ、勝てるはずもない。

 ふいに視界の端、――彼が隠れる車体から、黒煙や人体の欠片やスクラップを隔てた10メートルほど先を人影が走る。
 作戦進行のイレギュラーを配慮して後方支援に配置されていた連中だ。
 シルエットのみであったが、彼らの装備品が作戦当初のモノと違うのは分かった。配置上、現場から離れていたため換装する余裕があったわけだ。

 彼らが目標に接敵すれば、あるいはこの絶望的な戦況が、どうにかなるかもしれない。
 男は残った腕でMP5を肩から袈裟掛けにすると、器用な動作でマガジンを交換した。

 後方支援部隊が別働隊へ変化したことはソーニャも把握していた。

 JR大阪駅ホームから京橋方面に延びる鉄橋の上に彼女はいた。橋梁に腰掛け、足をブラブラさせている。ここからだと地上の戦況が俯瞰できる。

 しかし今の彼女の目は、さらに4千Mほど上空にあった。
 すでに国籍すらわからない粗大ゴミ同然のスパイ衛星だったが、本来外宇宙観測用のハルモニア型光学レンズを地上に向けているのだから、その精度は充分といえた。
 5名の別働隊はダシコフの左側面から充分な距離をとりつつ背後へ移動している。思いのほか早い。怪訝に思ったソーニャは隊員の一人に焦点を絞り、バストアップを拡大する。
 移動速度が早いのは、軽装で銃器などをほとんど装備していないためだ。ただ一振り、右腕にナイフが握られている。
 移動の邪魔にならないよう、腕に添わせるように逆手に持たれていたが、刃渡り60センチの刀身は充分目立った。

 頬杖をつきながら、笑みを浮かべる。
 相手の手の内を察した彼女の、余裕の笑みだった。
 刃物であれ銃器であれ、ソーニャには脅威にならない。それはダシコフにとっても同じ事だった。

 個々の生物が持つ磁場を意思で操作し、あまつさえ拡大・縮小することが彼らには出来るからだ。
 磁場の拡張は反重力を形成する。ダシコフの大蛇や、サブ・マシンガンの掃射をはじき返したのは、その応用である。
 明らかに人間一人が創出できる熱量を超えている。そして、エントロピーを無視した彼らの能力の理屈はまだ分かっていない。
 彼らが所属している施設は、過程に興味はなく、結果に満足する組織だった。
 その能力が兵器として機能することが分かれば充分だったのだ。

 ソーニャは立ち上がった。
 ボア付きコートの襟に収められたブロンドの髪がざわめいている。
 睥睨するかのように眼下の戦場を見回す。
『ヤン、8時の方向、5人』

 付随して、彼らの能力に限界がある事もわかっていた。
 固体差に極端なバラつきがあり、また固体性能も、時々における精神状態に影響される。
 例えばダシコフの場合、物理攻撃においては鉄壁の防御を誇るが、それは守りに集中している時だけで、ひとたび攻めに転じると守備が手薄になる。
 今のような『大技』を繰り出している時などがそうだ。

『けっこう早いから手早くね』
 あらゆる『目』を用いての、探索・調査に長けた彼女だが、彼を見つけるのは容易ではなかった。
 逆の見方をすれば、簡単に発見できないが故の彼のポジションだった。

『ヤン?』

 無駄なのは承知しているにもかかわらず、反射的に周囲を見回す。
 すぐさまソーニャは、視界を衛星に切り替えた。
 5人の別働隊はダシコフの真後ろに付け、即座に方向転換、急速にダシコフとの距離を詰めていた。

 主砲としてのダシコフ、打ち洩らしを掃討するヤン、それらの状況を分析する司令塔としてのソーニャ、互いの能力を生かした連携が確立できてこその戦力である。反面、互いの特化しすぎた特性ゆえに、一つでもパーツが欠ければ機能不全に陥る。当然、替えもない。

『返事しなさいってば、ヤン!』

 5人の影がボンネットを踏み越え、黒煙を切り裂いて突進してくる。
 進入経路の安全を確認する斥候も、退路を確保するバックアップもない。
 ただまっすぐ向かってくる。
 すでに抜き放たれたナイフと同じ、無機質な殺意だけを持って。

『ねぇ! 何かあったの?』
 鉄橋から落ちそうなくらい前のめりになった彼女の視線の先に、乗用車一台分までダシコフに迫った5人の影があった。
 先陣をきる一人がダシコフの背中めがけナイフを振りかざす。

『少佐!』


 
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