すでにヤンの姿はあった。
 ダシコフと同じ黒スーツ姿だが、ジャケットの前を留めた細身長身のシルエットは、ダシコフの体躯の良さと印象が全く違う。
 肩口まで伸ばされた髪が付け根で束ねられ、空を舞っている。
 彼は、ナイフを振り下ろそうとする男の右側から、男を『見上げ』ていた。
 ヤンの足元には、トラックの荷台の側面があり、そこに今『着地した』ような姿勢で男を見ているのだ。

 ダシコフの背中に集中している彼らはまだヤンに気づいていない。

 もしかすると、気づいていたのかもしれない。
 確かにヤンの姿は彼らの視界に入っている。
 しかし視覚でなにかを見分ける時、人は過去の経験を元に判断する。相手が走れば遠ざかり、狙い打てば崩れ落ちるように、当たり前と思っている動きでそれを判断する。
 それとは逆に、当たり前でないもの、本来あるべきところにない物などは判断が鈍る。それどころか、判断を拒む場合すらある。つまり見えないのだ。

 ヤンは『荷台の側面』に向けて腰を落とすと、跳躍した。
 重力という制約を受ける者が見れば真横になる、だが彼にとっては真上に、制約なぞ初めから無かったように飛ぶ。
 そして突撃する5人の寸前でヤンの姿が消失した。
 同時に5人が崩れ落ちる。四肢がいびつに分断されて、飛び散る。
 彼らが所持していたナイフ、超伝導精製された一枚鋼板にアモルファス加工を施したそれすらも切り刻まれていた。
 ヤンが、再び姿を現す。
 跳躍したトラックから5人をはさんで、ちょうど反対側の路上に着地した彼は、自分が「処理」した結果を確認することもない。
 まったく当たり前すぎて、自身の行為に恐れることも陶然することすら忘れてしまっていた。

『げぇ!』
 ダシコフの声だ。
 ソーニャがその姿を肉眼で追うと、さきほどの5人の破片を浴びたダシコフの姿があった。
『てめっ、きたねー臓物を巻きちらすんじゃねぇ!』
 寸前で「処理」されたとはいえ、突入の勢いはそのままだったようだ。
『防壁を展開していないからだ』
 着地姿勢のヤンが嘲笑を交えて返答すると、再び姿を消した。

 そのやりとりをなかば呆然とながめていたソーニャは、ここにきて我に返ると元のように座り込んだ。
 二人が、事あるごとにいがみ合う理由をソーニャは知らない、というより、どのみち相性が合わない程度の理由だろうと関心を持たない彼女だが。
 憮然とした表情でくちびるを尖らせる。
『あたしだけビビらせて、どうするのさ』




 
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