『刺さる想いは幾星霜』
『幾千幾万の目』

 今になってソーニャはその声、というより奇妙な唄に気づいた。年末の街頭で耳にする宗教演説に似た、妙な語調の唄だ。
 眼下の戦況は収束をむかえつつある。圧倒的だった。相手は携行武器のみの歩兵で、それを4人がかりで対応しているのである。在るべくして在る展開、ソーニャの現状認識はそのていどである。
 だが、奇妙な唄を耳にしてから、嫌な胸騒ぎがおさまらない。
 彼女はおもわず立ち上がった。

 その唄は、ソーニャたちが警官隊と衝突した直後から、ゆっくりとひろがりはじめていたのだった。

『二つ名を持つ者よ今や』
『白き骸へ還らん』

 先導していたのは、年齢も国籍もバラバラな数名の男女だった。彼らは、たったいま生み出された戦場に散在していて、バラバラに唄っていた。大きな声というわけでもなかった。でも、怒号や銃声と音域が異なるせいか、その唄はすんなり周囲の者の耳に届いた。
 そして、奇妙な現象が起こり始めた。

『刺さる想いは幾星霜』
『幾千幾万の目……』

 唄を聞いた一部の者が、その唄に加わり出したのだ。それまで自分がパニックに陥っていた事や、泣き、叫んでいた事を忘れて、突然何かを思い出したように彼らに続いて歌い出す。そしてまた、歌声を聞いた別の誰かがそれに従う。
 その連鎖はついに戦場をいきわたり、ひとつの唱和となっていた。

『二つ名を持つ者よ今や』
『白き骸へ還らん……』

 先程まなみに声をかけ損なった青年も唱和に交ざっていた。ときおり、手首に巻き付けた鈴が小さく鳴る。
 彼は奇妙な合唱を耳にしたとき、まったく同時に、半年前の記憶が浮き上がってきた。そして、その脈絡のなさに疑問を持つ事すらできぬまま記憶に没入していった。それは、いまとなってはどうということのない、バイト先での記憶であった。
 コンサートやライブといったイベント関係の観客整理。熱狂的なファンにとって邪魔者でしかなく、ときには目の敵にされもする。
 いつもなら、大挙する人の波に翻弄され、脚を踏まれ罵声を浴びつつも、どうにかイベントを進行させていた彼らだったが、その日は違った。
 通常の倍に及ぶ警備員が動員され、観客整理は滞りなく行われた。靴を踏まれることもなく、手薄な箇所を駆けずり回る必要もない。まったく整然と、観客の罵声すら封じて、まるでデモ隊を威圧する機動隊のような気分ですらあった。
 主導権はこちらにあり、逆らう気など微塵も持たせない空気があった。
 圧倒的な力で駆逐してしまえる予感が、心の奥で何かを蓄積させる。それを炸裂させるきっかけを待ち侘びるかのように気持ちが高揚する。
 あの時の感覚が生々しいまでに甦っていた。
 同じように、唱和に加わった者のほとんどすべてが内容こそ違えど、似たような感覚に心を高ぶらせている。そしてそれらすべてがダシコフたちに向けられていた。



 
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