気づけば、ソファーに座っている。 目の前には小さなテーブルがあり、その上に一組のティーカップが置かれている。 見渡せば、似たようなテーブルが並んでいて、カウンターもあり、背の高い水出しドリッパーまである。 どうやら喫茶店ということらしい。スターバックスやエクセルシオールよりも、ちょっと値段の高い店といったところだ。 店内は静かで、おかしなことに店員すら見当たらない。などと観察していると、入り口に人影が見えた。 ガラス戸を押し開けたそいつは長身の金髪女で、こちらに顔を向けると、にこやかに手を振ってみせたりした。 「やっほ〜、元気してた〜?」 などと、この上なく軽い口調で挨拶すると、当たり前のようにオレの横に座る。思わず顔をしかめる。 白のセーターに赤いロングスカート。出で立ちは地味だが、顔の造りが妙に整っている。西洋人とも東洋人とも判別できない整い方だ。 「なんで横に座るんだ。話しづらいだろうが」 女は首をかしげた。 「アレ、おかしいなー。異性相手のほうが、円滑にコミュニケートできるんじゃないの? ハロッズとかシェラトンのマニュアルに載ってたよ?」 「そりゃ、対面販売や接客だろ。そもそも――」 中身が巨大な計算機の塊と知れてるのだから、趣味の悪い冗談にしか思えない。という台詞は、女を見ていて自然と呑込まれた。 「いやむしろ、こみいった話をする場合は、逆に面倒くさい」 正体を知っていても、この言い回しだ。実に面倒くさい。 それでも女は「そーなんだー、ややこしいのねぇ」などと気にする風でもなく、ティーカップに口をつけていたりする。 「まぁいい。先に報酬を渡しておく」 オレは内ポケットから3.5インチのフロッピーディスクを取り出し、テーブルに置いた。 「あはっ、田中クンもわかってきたようだねぇ〜」 と喜声をあげ、「でも容量計算合わないよ?」と、らしい事を指摘しつつもフロッピーを手にした。 フロッピーに集中するように目を閉じる。 途端、表情が分かりやすいくらいに緩みだす。 「あー、使ってないシナプスが刺激されてるわー。このインターフェースとか作りこみとか、日本のソフトは良くできてるよねー。もう、弾道計算とか散布範囲統計とかじゃ、こんな反応起こさないもの」 緩んでいるのは顔だけで、目は閉じられたままだし、姿勢もさきほどと変わらない。 「ネットから大抵は手に入るけど、でも万能じゃないもんね。特にこの手のソフトはローカルでやり取りされてたりする作品のほうが質高かったりするもんなのよ」 しばらくかかりそうな気がして、ソファーに深く座り直す。オレの分らしき目の前のティーカップをぼぅっと見つめる。 諜報は、とどのつまり情報収集の精度と鮮度によるところが大半を占める。情報源が人間ばかりだった頃は、より質の高い情報を獲得するために、裏の読み合いや交渉術が必要だったワケだが、情報と人間に距離が生まれた昨今では、ただのバーターに成り果てている。 替わりに今度は、相手を引き付け、かつコチラのリスクが最小限で済む取引材料が調達できるか、が重要視されるようになった。 「専門外だからわからんが、好評なようだな」 「そりゃあもう。あ、朋ちゃんにいつもありがとうって伝えといてもらえるかな」 この取引が良い例だ。数千円のホビーソフトと引き換えに米軍の動向が買える時代になってしまった。 たしかに、草薙の隠れた趣味には感謝すべきだ。とはいえ、何故隠す必要があるのか、けっきょく草薙は語らなかったが、いやむしろ知られる事を恥じているようですらあった。 これといった趣味を持たない立場のオレからすれば、理解が難しいところであるが。 いわゆるシンパシーというのだろうか、同じ事に共感できる者どうしで理解し合えればそれで良い、そういった秘匿性を重視する人種がいるということなのか。 などと暇をもてあましていると、唐突にティーカップの手前に30センチ四方のスクリーンが現れた。女は含み笑いをもらす。 「思ったより良作だったから、さっき聞いた小ネタのほうからいくね」 高層ビルに挟まれた大通り。だが往来する車両はことごとく歪んでいて、剥き出しの地面と黒煙。スクリーンの隅に駅が見える。 昼間に発生した、大阪駅前の爆破テロだ。 依頼とは全く別件で、軽く打診した程度だったから期待すらしていなかったのだが、どうやら報酬が効いたということらしい。 駅前を俯瞰した画像が、ほどなく切り替わる。 「といっても、衛星が写角に入ったのは、事後だったのが残念だけど。……それでも面白い情報が手に入ったわ」 同様に駅前の絵だが、線路上が拡大されていて、なおかつ静止画から動画に変わったようである。 無数の死体で埋め尽くされた映像は、動画であるか疑わしいくらいに動きが乏しい。 途端、異常だと感じた。 全員が死んでいるのだ。怪我人がまったくといっていいほど見当たらない。 銃撃であれば必ず負傷者が残る。人間、そう簡単に死なないものだ。 広範囲で圧倒的な致死。爆破が最たる例だが、おかしなことに、周囲に破壊の跡がない。 その代わりに有るのは、画像中央の一組の人影だ。画像内で唯一動きのある少女らしき人物と、それに背を向けて立つ、白髪、黒コートの女。 「キーリク・カーライル。国際指名手配犯よね、黒コートのほう。通称グルツヌイの悪魔。彼女のことは知ってる?」 女の解説で、頭の中の重犯者リストを検索する。 「知識としてはな。ICPOではテロリストということになっているが、ロシアの軍人なんだろ? それも特殊な兵隊らしいが」 動画は黒コートの女が背後の少女へ振り向いたところで静止。スクリーンが二分割され、カーライルのバストショットが差し込まれた。 コイツの顔写真は初めて見る。オレのリストにもないし、いや、そもそもコイツの特殊性から外見や素性すら知れず、ともかく情報が少ない。 分かっているのはロシア人女性というくらいで、これも、ソ連崩壊をきっかけに西側へ流出したといわれる、とある軍事研究施設の内部文書に名前があったからだという。 この画像もそれらの情報と今回の映像から推測されたものだろう。 髪と同じく色素の抜けた瞳、北欧人らしい白い肌、こんなモノクロ女が戦場に居たなら、禍々しいことこの上ない。 「イレギュラーというより、彼女はスペシャルみたいね、私は懐疑的なんだけど。国務省がロシア政府に抗議文を送ってるわ、日本の外務省経由で。まるで核兵器でも持ち込まれたみたいな騒ぎになってる」 正体不明な女だが、違う方面からの情報はあった。 ソビエト連邦崩壊後の混乱から端を発した、東欧地域の紛争。要因は多岐にわたる。 格差経済、ナショナリズム、いまだ流血は続いている。 そのほとんどでグルツヌイの悪魔の目撃報告が挙がっている。が、その内容は目の前の女が言うように、にわかに信じ難く不透明なものばかりだ。戦線供述なんてその程度のものだし、実際、ガセや責任転嫁も多い。 いづれにしろ、表向きは重犯テロリスト、裏返しても外交問題に直結する要注意人物だ。そんなヤツの入国を許し、あげく民間被害、おまけに地元警察のSATを全滅させたとあっては、公安が口を開かないワケだ。 「送還できそうか?」 「どうかなー、昨日の在日基地のテロだけで手一杯なんだから」 「そっちのテロはなにか掴めてるのか?」 「まだ精査中ね。ラングレーはエンドレスな祭り騒ぎになってる。こっちにも、衛星画像よこせとかレーザー通信盗聴しろとか面白くない作業押し付けてくるんだよ? まったく、自前の衛星使えっつーの」 軽く探りを入れてみただけなのに、えらい剣幕でまくし立てる。全くよく出来ている。 「でも、何件かは絞れてるみたい。ヨコスカはGRUが濃厚ね」 一瞬頭が痺れた。これもロシアか。 いや、違う、そこじゃない。女はおかしな言い回しをしている。 「横須賀は?」 「そうよ、他は違う。だって同じ爆破テロでも手法が違うもの。カデナは自爆テロだったらしいわ。恐らくハマスのシャヒード。サセボとイワクニはまだ分からないけど、FARCの関与が疑わしいみたい」 簡単に言ってくれる。 『まったく関連の無い組織が偶然同じ日をテロ決行に選んだというんですか?』 まさしくそういうことらしい。 反米組織という関連性はあるのかもしれない。だが彼らの立場は違いすぎるし、そもそも米国に恨みの無い国がどれほどあるのか。 同じ日である"偶然"に介在している何らかの意図があるのではないか。 「じゃあ聞くが、同じ日の、それもほぼ同時刻に異なる組織が爆破テロを行った。その因果関係は?」 「それは人間の領分ね。偶然という言葉に人間は強い印象を持つようだけど、私にとっては、同じ数値だった、ただそれだけよ」 などと、いかにもデジタルな返答だが、こちらを伺うニヤけた表情は言動と相克している。 「ていうか、いきなり送還しろだなんて、田中クンにしては弱気な発言だねー」 そうだな、分析は後にするべきだ。 しかし、事務レベルで解決しようとするのが気に入らないらしいこの女は、まったく何を期待しているのか。 「そっちにも大阪駅爆破テロの数値は届いてるだろ?」 ここへ来る前に虎ノ門のデータベースから調達した資料を思い出す。 「死傷者868人、うち死者が493人」 こんなおかしな数値は簡単に忘れられない。 おもむろに女へ顔を向ける。 「この致死率は尋常じゃない。事故災害で二割から三割、9・11でも四割を超えてないんだ。死傷者数の内訳で死者が五割を超えるなんざ異常だ。特に事件直後ではな」 「む、田中クンは超能力とか信じてるんだ」 「あるかもしれない事はある事として仮定するのが危機管理だからな。その際、原理は重要じゃない。結果として短時間で500人を殺せる兵隊がいる、それだけだ。だが、その結果だけ見ても明らかだ。そんな埒外なヤツとまともにやりあえるか。国益を守るのがオレの仕事だが、わきまえてもいる」 言ってから、知らずに質問をはぐらかしている自分に気づいた。一瞬、アラビア語の検死報告書が脳裏をかすめる。 「それに、ソッチはもっとまともな情報があるんだろう、戦力分析したんじゃないのか?」 研究施設の極秘文書くらい当然入手しているだろう。 だが予想に反して、オレの問いに女は顔をしかめた。 「たしかにドキュメントはあるよ。でも自分で解析したわけじゃないもの。ああいう外事の懸案はCIAのサーバーがやるの、自分は内事が領分なの」 年間八億ドルかけて運用されているだけに、自前の情報には絶対の自信をもっている。反面、外部の情報はたとえ身内であろうと疑ってかかるのがコイツの性分だ。いや、特性というべきか。 「で、その領分の事なんだけど」 スクリーンに日本を中心とした太平洋沿岸の海図が表示される。 大抵は北米地図が使われるところだが、今回は舞台が違う。 「3時間前に第七が出航したわ。昨日のテロで受けた被害なんかそっちのけで無理やりオンスケ。第三も同調する予定だったけど、こちらはちょっと遅れてる。第五から派出された艦船と合流するためね」 唐突に話題が切り替わったのは、実のところこちらが本題なので仕方ないが、にも増して、いきなりとんでもない事を口にしてくれる。 「まてまて、第五も動いているのか。たしかにあの艦隊は専任を持たないし、借り物だが」 「そうよ、湾岸戦争の時に組んだものだから、そのとき太平洋艦隊から借りた分がごっそり動いてる」 洋上戦力としては、もはや過剰すぎる動員だが、第三も第五も太平洋艦隊所属だから想定内ではある。むしろ気がかりなのはそこじゃない。 「あと第七な、海兵隊も載せていったのか?」 「第三海兵遠征軍ね。同行してる。揚陸演習もあるのかもね」 「演習か……」 「あ、ちょっとまって」 言って、女の動きが止まる。 「今、視認したんだけど、ハワイに駐留していたのは第六じゃないわ」 そこで一区切りすると女は意地の悪い笑みを見せた。 「……と、厳密には、"視認出来ない事"を確認したんだけど」 「ステルスか」 「そうね。たぶん第十三ね――」 まだ公式運用されていない、新たなナンバーズフリート。 高度なステルス装備を実装した史上初の艦隊として、その筋では話題になっていた。 「――監視衛星を騙せてるのは流石だけど、海上プローブのジャミング跡で追跡できるんだから」 「旗艦は、ジョージウォーカーだったか。投影面積ごとの火力密度が側面より正面のほうが高いっていう、奇抜な艦隊だったな」 おまけに高射程のレールガンを装備しているなどという噂もあり、艦隊でゲリラ戦でもやるのかと揶揄もされていた。 「そだよー、水鉄砲を実戦配備するなんて、合衆国バンザイだわ」 なんとも気の滅入る話だ。思わずため息がでた。 「結局、太平洋艦隊のほとんどが駆り出されているということか。地上最強の軍隊がこのザマじゃ、他国の動きなんざ聞きたく無くなるな」 「マスコミに露出しちゃったしね。近隣じゃ中国や台湾、もちろんNATOも極東に集結中。詳細は転送しておくわ」 「ありがたい、よろしく頼む」 礼を言って席を立った。米軍の状況は概ね把握できた。 が、今一度振り返って、女を見る。 「NORADが誇る戦略知性体として、この状況をどう分析する? 演習や実験とは、とてもじゃないが理由にならないぞ」 女は考える風でもなく即答した。 「田中クンが懸念するのは理解できるし、これほど大規模な"極秘"運用は初めてだから興味深いけど、想定できる敵が無い以上、何も起こらないわ。冷戦時代の縮図みたいなもんよ。今言えるのはそのくらいかなー」 軍拡競争の末路。誰として押すことのできなくなった、必殺のボタン。政治の建前や理屈は数多取りざたされたが、理由はシンプルだ。敵を消滅させるためのボタンが、いつしか自爆ボタンに変わっていたからだ。 理由はどうあれ、というより理由に関係なく最悪の展開は無い、ということか。 オレは女が入ってきたガラス扉を押した。 女は座ったまま、右手をヒラヒラ振っていた。 「ま、がんばってね〜。あ、"店"は開けとくから何かあったらヨロシクー」 |
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