S2青木雅美

「あんなの、タコられるに決まってんじゃん、シューキョーって馬っ鹿だねー」
 そう言うと、手にしたクロワッサンの先をちぎって口に放りこみ、金髪女子高生はケラケラ笑った。

「そそ、メアドまで丁寧に書いてたしね」
 両手で包み込むように持ったマグカップをすすりながら隣の女子高生が合いの手を入れる。
 こちらは色黒の体育会系といった風体であるが、胸元の大きなリボンが特徴的な変形セーラー服は先の金髪女子高生と同じもので、机を囲む他の3人も同じ制服だ。その輪の中には青木雅美の姿もあった。

「だよねー、今ごろ大変な事になってるんじゃない?」
 金髪女子高生の向かいに座る眼鏡っ子はそう言うと、持参のポットからホットココアをマグカップに注ぐ。「大変な事」を想像しているのか、とても愉快そうだ。
 サクサクとした歯ざわりなのにしっとり感と独特な甘さがあるのは、独自の製法で生地におりこまれたハチミツのせいだ。
 近所の工房風パン屋の特製クロワッサンが雅美たちの朝の定番となって久しい。
 青木雅美は眼鏡っ子に応えるように微笑むと、机の中央に盛られたクロワッサンを一つつまみ上げる。

 彼女が「自殺ホームページ」を知ったのは情報屋の異名をもつ眼鏡っ子から教えてもらったものだ。その後、クチコミで広がり、クラスの女生徒ほとんどの知るところとなった。

 ふと視界の端に学ラン姿を捕らえて、雅美は口をつぐんだ。
「あ、なにしてんの?」
「なんでもねーよ」
 通りがかった男子生徒の何気ない一言を同時に振り返って、同時に一喝する体育会系娘と金髪娘。思わずハモった二人を男子生徒交えて皆で笑う。
 どういうわけか「自殺ホームページ」の事は男子には秘密らしい。誰が決めたわけでもなく、自然とそういう風になってしまっていた。
 公にふれ回ってよい内容ではないのは確かだ。それこそ昼間の芸能番組よりタチが悪い。
 そんなものに感心があるなんて異性に知られたくないというのは、女の子の本能なのかもしれない。気になる相手がいる場合は尚更だと雅美は思う。
「っかし、こんなとこで茶会たあ、変わってんな」
 ひとしきり笑ったあと男子生徒は去っていった。
 見送るついでに周囲を見回して、雅美は内心苦笑する。
 たしかにそうかもしれない。
 立ち話に興じる者、携帯ゲーム機に群がる者、静かにヘッドフォンステレオを聞き入る者。朝の教室なんてそんなものだろう。
 窓際の机2つをくっつけた「食卓」、網かごに盛られたクロワッサン、5人ともマイ・マグカップを持参し、周囲はココアの甘い香りが漂う。
 あとは純白のテーブルクロスと気の利いた音楽さえあれば、きっと教室という空間から隔絶できるだろう。

 体育会系娘が眼鏡っ子にマグカップを差し出している。何事もなかったように話が戻っていた。
「オラトリオが久々に書き込んでたけど、アレ何?」
「なんか感じ変わったね。フリークの和子はどう思うわけよ」
 ポットを傾けながら眼鏡っ子が隣のおかっぱ女生徒に話を振る。

「あんな短絡なのオラトリオさんじゃない、きっとニセモノよ、間違いなし。ホントのオラトリオさんは『低脳』とか『オタク野郎』とか芸のない返しはしないわ」
 机を叩く勢いでマグカップを置いたおかっぱ娘は、いつもの静かな物腰とは一変した熱弁をふるう。
「だいたい、あんなミエミエな地雷、踏んじゃうハズないもん。オラトリオさんは、もっと理性的で筋の通った言い回しをするのよ。でもちょっとコワれぎみで、かつ笑いを常に意識してて、…ああっ、ヘタれのワカモリを葬ったときのオラトリオさん、かっこよかったわあ〜」
「あぁ、和子が駄目になっていくよ、かあさん」
 大仰に肩を落とす体育会系娘。

 数ある日記系個人サイトでも「自殺ホームページ」は異端である。自称自殺志願者であり、サイト管理者である「まほろば」が自殺方法を模索する日々が日記に綴られている。

「にしても、あと6日だっけ?やるかな彼女」
「あんなのフィクションに決まってるだろ」
「そうかなぁ、雅美はどう思うよ?」

 どうやら失恋で自殺を決意したらしい「まほろば」は、日記の冒頭で自殺決行期限を指定していた。
 当初は半年以内に死ぬ、とおおざっぱな表現にとどまっていたが、数週間前に「まほろば」は明確な日付を公表し、サイトではカウントダウンがはじまっている。
 掲示板が盛り上がっているのは言うまでもなく、なおかつ雅美たちに伝播していた。

「私は、彼女、本気だと思う」
「えぇっ、マジかよ、どうせ怖くなって止めるって」
「あたしもやると思うよ。電気毛布のタイマー使って感電死っていい方法だと思うし。小説で読んだって言ってたけど、あれだったら寝てる間に死ねるじゃん」

 それは数日前アップロードされた日記に書かれていた。
 電気毛布に限らず、電化製品でスイッチの操作部分が本体から離れているものであればなんでもよい。コンセントからスイッチ、スイッチから本体へと電源ケーブルが繋がっていればいいのだ。
 そのスイッチと本体をつなぐ部分を切断し、ふたまたに裂いて両端を胸と背中に張り付ける。ちょうど心臓を貫通するように張り付ければ家電製品の弱い電力でもショック死させるに充分なのだそうだ。
 あとはオンタイマーを適当な時間にセットしておけば、知らない間に死ねるという寸法だ。
 スイッチと本体が離れている電化製品は以外と少ない。雅美の部屋にもやはり電気毛布くらいしかなく、目の付け所に感心したのを覚えている。

「でもさ、半年もウジウジやってんだよ?今さらやろうって気になるかね」
「彼女が悩んでたのは『方法』じゃん?」
「うん、今度の方法だとやれそうだよね」
 体育会系娘に金髪娘とおかっぱ娘が反論する。自殺否定派劣勢のまま、しばし沈黙が流れた。

「そいやさ、ウチのクラスに転入生が来るんだって」
 眼鏡っ子が情報屋のあだ名にふさわしく新たな話題を振った。
 これは雅美らの間ではパターンになっている。「自殺ホームページ」の話題がひとしきり終わると、決まって「まほろば」が本当に自殺するのか、という展開になる。こうなると憶測を抜け出ることはなく、ひたすら水掛け論にしかならない。開設当初からつきあっている彼女らにとって、それはつまらない話題になってしまっていた。

「それも、帰国子女、だって」
「えぇっ、外人かぁ」
「お約束すぎるよ、オマエ」
 体育会系娘のつっこみとも思えない冷たい一言が金髪娘を突き刺す。
「多いね、最近」
 雅美が二人のやりとりに笑みを浮かべながら言った。
「へ?ナニそれ」
 金髪の、いかにも頭悪そうな娘がやはり頭悪そうに聞き返す。

「摩耶センセの事だろ。あたしは絶対、伊達だと思うけどな」
 体育会系娘の説明に、先ほど熱弁を振るっていたおかっぱ娘が日頃の口調で「綺麗な人だったね」と付け足すと、体育会系娘が「オンナに興味はない」と切り返す。
 雅美は先週のオリエンテーションで紹介された新しい保健医の事を思い浮かべていた。
 名前は久川摩耶、年齢は雅美たちの推測で26〜27歳、目算であるが180センチ以上の長身に、今時珍しいワンレングス。
 体育会系娘が言っている伊達うんぬんとは、久川摩耶が掛けている眼鏡の事で、真面目な保健医を装うアクセサリーだと主張している。
 伊達眼鏡であるかどうかはともかく、久川摩耶ほど白衣の似合わない保健医は見たことがない、という意見に関しては雅美も同意していた。

 保健医が頻繁に変わるのはどこの高校も同じだ。雅美自身、入学以来何人目の保健医なのかわからないくらいで、元々感心すらなかったのだが、今回の保健医は彼女の中で強い印象を残している。
 大体は久川が遊び人風情であるというのが理由だが。
 雅美がつらつらと思いふけっている間も、残り4人は久川の話題で盛り上がっていた。
「っかし、いきなり校内100問ペーパーテストたぁ恐れ入ったよ」
「ナニよそれ?…でも、噂は本当だったってことね」
「確かに量は多かったけど、あんまし面白味のない内容だったねー」

 久川の着任早々、彼女に関する妙な噂が流れた。
 保健室を訪れる生徒に得体の知れないアンケートを配り、答えた生徒たちは見返りに茶菓子を貰ったり、授業をサボるために保健室に長居することを認められたりしているらしい、と。
 興味を持った雅美たちは早速確認に向かったわけだが、噂は概ね事実だった。
 事実であった、で5人が納得するはずもなく、アンケートの目的を聞き出そうと久川を執拗に問いつめた。
 しかし結果は芳しくなかった。久川一人にいいようにあしらわれ、あげく目的も分からないままアンケートに参加させられてしまっていた。

 唐突に響いた机の倒れる音が雅美の思考を断ち切り、教室内の喧噪が切り取られたように消える。
 音につられて振り返らなかった者はほとんど居なかった。そして皆教壇から離れた方の入り口に注目している。
 女生徒が一人立っていた。
 不思議なもので一つの音に集中してしまうと他の音は聞き取りにくくなるらしい。雅美は立っている女生徒の後ろで机に腰掛けている、もう一人の女生徒の笑い声にようやく気づいた。
 江藤圭子という不良女子高生にいつも付き従っている生徒だった。そして目の前に立っているのが当の本人である。

 江藤圭子の事は誰でも知っている。
 見た目、わからない程度の基礎化粧とルージュ、少し赤みがかったロングヘア、不良学生のイメージとはかけ離れた地味な外見が、逆に彼女を『本物』だと意識させる。
 授業中、平気で席を立ってそのまま帰ってこないなどはいつものことで、携帯電話を鳴らす回数が多いのも彼女だ。
 大きな問題は起こさないものの、他校の生徒をシメまくっているだの、地元のヤクザにコネがあるらしいなど、噂話が尽きることはない。誰も真相を探ろうとしないのだから、尾ひれは果てしなく延びているのだろう。

 そんな彼女も今日は珍しく朝から学校に来ていたらしいが、やっていることは相変わらずだった。

 切れ長な瞳をいつもよりつり上げて倒れた机の方を見下ろしている。その先には尻餅をついて彼女を見上げる男子生徒がいた。
 だが、彼が江藤圭子を見上げていたのは少しの間だけで、すぐに視線を逸らすようにうつむいてしまった。
 それをきっかけに周囲の喧噪が戻る。
 体育会系娘の「なんだ、またナメクジか」という心底つまらなそうな台詞が周囲の雑音に紛れて聞こえた。他の面子も各々クロワッサンに手をつけたり、雑談をはじめたりしている。
 だが、雅美はまだ二人を見ていた。
 しばらく沈黙していた江藤圭子が何か言い捨ててきびすを返す。
 聞き取れる距離ではなかったが、男子生徒のことを「クズ尾野」と呼び、罵倒したのはわかっていた。
 みなが陰ながら彼を「ナメクジ」と呼ぶのに彼女だけ違うのは周知の事だ。なんでも二人は幼なじみだったらしい。
 そして、彼女が彼をイジメの標的にしているのも周知の事実だった。

 しばらく二人を、否、どちらかといえば「ナメクジ」と陰口を叩かれている尾野輝一を見ていた雅美は二人の様子がおかしいことに気づいた。二人が同じ方向を見つめて固まっているのだ。自然と二人の視線をたどる。

「みんなー、ちゅうもくぅー」

 脳天気な、それでいてよく響く声の主は二人の視線の先にいた。
 雅美と同じ制服の女生徒が三つ編みを揺らしながら、黒板になにか書き付けている。
 雅美の思考はすぐに先ほど話題に出ていた転入生に行きついた。
 そして日頃はクラスの半数以上が、始まりも、ましてや終わったことすら気づかないホームルームが始まっている事を知った。さらに、転入生の傍らで所在なげに立っている担任教師を見つける。
 生徒が雑談していようが、電話中であろうが関係なく用事を済ませる典型的サラリーマン教師である担任が呆気にとられた様子で黙っているのだ。
 ようやく雅美は事態の珍妙さに気づいた。

 これは、見知らぬ転入生が仕切っているホームルームなのか。

 教室内ほとんど全てから注視されながらも、転入生とおぼしき女生徒は指先についた石灰の粉を払いつつゆっくりとした動作で振り向いた。
 大きな丸眼鏡はあきらかにサイズが合っていない。そのうえ前髪が必要以上に長い。眼鏡にかかっているというより、被さるほど長い。つまり鼻から上はうかがうことが出来ないのだが、それでも表情がわかるくらい口元に微笑みをたたえて
「今日からみんなと一緒に勉強することになりました、ひさがわよしみ、です。ヨロシクねっ」
 などと言い、バネ仕掛けのオモチャのような一礼をしてみせるのだ。

 雅美は数秒間、間の抜けた顔をして固まってしまった。あまりにも言動と外見がハマりすぎているのだ。
 教室内がどっと湧いた。
「うわ出た、天然だよあいつ」と大笑いする体育会系娘や、「作ってるに決まってるじゃない」とつっこみをいれる眼鏡っ子。

 チョークで字を書く、それも見た目良く書き上げるには、ペンで書く時と異なるテクニックが必要となる。
 いつも以上に騒がしい周囲をよそに、雅美は黒板の「久川吉巳」という意外と達筆な文字をぼうっと眺めながらつぶやいた。
「久川って言うんだ、あの娘も」


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