S3久川摩耶 「食べた分はちゃんと働きなさいよ」 自前のノートパソコンに向かったまま、久川摩耶は隣でケラケラ笑っている女子高生に言った。 「もうあらかた終わってるってば、それより見てみて、これセンセへのラブコールだよ」 言いながら、キャスター付きのイスを回して向き直った久川吉巳は一枚のマークシートを久川女医に見えるようにヒラヒラさせた。 「あのさ」 顔を上げた久川女医は、ずれた眼鏡を正しながらマークシートを凝視した。 「その口調なんとかなんない?」 「ズルいー、センセがやれって言ったくせにぃ」 にわかに口をとがらせる吉巳。そう言われてしまうと二の句が出ない。 彼女本来の目立つ部分を隠そうという思惑は成功しているので実際には問題なかった。 目立つという意味では今のキャラも充分目立っている訳だが、それこそ逆の目立ち方なので、それを止めさせる理由もなかった。 しかし久川女医は後悔していた。 やはり、生理的にこういう天然系なキャラクターは駄目らしい。初めいやがっていた吉巳を面白半分におだてていた自分を密かに呪う。 「たしかに、それはそうなんだけど」 言い訳混じりに言うと吉巳からアンケート用紙を受け取ってクシャクシャと丸める。 複数回答不可というルールを一切無視して塗りつぶされたB5サイズの黄色い紙切れは「マヤラヴ」と書かれているように見えなくもない。 その様を笑みを張り付けたまま見ていた吉巳は思い出したように顔を挙げた。眼鏡を外していても、覆い被さる前髪でその瞳はやはり、うかがえない。 「じゃなくて、今時のガクセーにこんな事したって意味ないなぁ、って毎回思うんだけどぉ?」 「でも、入力エラーになるのって、それで10枚目くらいでしょ?」 マークシートの残骸をゴミ箱に落とすと、吉巳の方に目を向ける。 すぐ横の机には保健室備え付けのデスクトップパソコンが低い機械音を鳴らしながら入力を待っている。その傍らに黄色い紙束が3つほど並んでいた。 「まだ1割もいってないんじゃない?」 「ちっがぁう、まともに入力できるのと、まともに答えているのとは違うって言いたいの」 「その頬ふくらませて、ふるふるするのもヤめて…」 「むー、好きでやってるわけじゃないのよ?」 さらに唇をとがらせて非難する吉巳。 「センセのお願いだから渋々やってるのに」 「ああ、ごめんごめん私が悪かったって」 未練がましい視線を振りほどくように首を振る。 「アンケートだから適当に答えられるんじゃないか、って言うんでしょ」 ずれてもいない眼鏡を正すと、久川女医は強引に話題を変えた。 「中高生向けにカスタマイズしてるから正規のヤツとは違うけど、これは歴とした性格診断テストなのよ。そこらへんの心理テストと同じにしてもらっちゃ困るわ」 「ひとさまの性格を8つに分類しちゃうなんて、なんか侮ってるなぁ」 「逆よ。パーソナリティは無限にあるの。その中から傾向の強い人を抽出するわけ。…本当はカウンセリングやって、対象者を絞り込んでから受けさせるのが正式な診断手順なのよ。その時の打率は7割を超えるわ」 2つめのコロッケに手を出そうとしている吉巳は、頷きながら話を聞き入っている。内心ほっとしつつも不思議に思う。今さらこんな話をなぜ聞きたがるのだろう。 「8つのパーソナリティってのも、これから増えるかもしれないわね。今でも心理学者とか精神科医なんかが、新しいパーソナリティを生み出してるものね。『シゾフレ人間』とか『メランコ人間』とか、――あぁ、『フリー・チルドレン』は市民権獲得しちゃったね。でもこういうのって、世間が心理学に関心持ち始めてる波に乗って名前だけ売れちゃったって感があるし、突き詰めると元になる8パターンの派生でしかないのよ」 数年前から、件数こそ増えないものの、未成年者による暴行、殺人は年を追うごとに残虐性を増していった。 また、動機が不明確で、犯人像の特定が難しいこの種の犯罪はマスコミの格好のネタとなり、世間がやれ犯罪心理学だの人間行動学だのと騒ぎ始めるのも自然な事だった。 久川の言う『派生』のパーソナリティとは、それらに便乗して小銭を稼ぐために作り出されたものだと彼女は考えている。 「ゼミが同じだった連中にも何人か本書いてるのがいるけど、まだマシよね。未治のボンクラが提出してるプロファイルなんて、詐欺よサギ。あれがバレたら納税者たちに刺されるわよ、アイツ」 勢い仕事の同僚の名前が出て久川ははっとする。 なんだか自分の言葉で興奮してる。 苦笑ながらに久川の手は、自然と白衣のポケットを探る。 察した吉巳は、にまりと笑った。 「センセ、ここ保健室だってば」 間接的に禁煙だとたしなめられ、仕方なくノートパソコンに向き直ると、作業を再開する。そういえば話題がずれている。 「設問が100以上あるのは、『質は違うけれど結果的には同じ内容の設問』を繰り返して対象者の嘘を見抜くためだし、設問一つ取っても随分吟味されてるのよね。意図的に嘘をつき通すのは簡単じゃないわ。実際、ベトナム戦争の時、軍役不適格者をはじくために米軍が採用してたし、入社試験とかで使われてるSPIなんか性格診断テストの社会人版、だしね」 「あ、それ知ってるー。春先になると攻略本が並んでるよね」 イスに背をあずけて、すっかりくつろいでいる久川吉巳は、手元の紙袋から学食コロッケをまた1つ摘みだした。 「あんなの毎年学生をカモってるだけよ」 リズム感すら伴ったキーを叩く音をBGMに久川女医は続ける。 「何冊か見たけど、ホントの攻略法は書かれてないのよね。診断テストの攻略法を書いたのは50年前にたった一人だけ、イギリス人だったっていうわ」 「ふうん、そゆものですかぁ」 言いながら、吉巳は傍らに積み上げられた黄色い紙の角を摘んでパラパラと鳴らした。 「こら、油の付いた手で触るんじゃないっ」 ――― 「ふう」 一息ついた久川女医は再び顔を上げると、今度は眼鏡を外しておおきく背伸びする。 「おつかれさまー、今回は早かったね」 壁掛け時計はちょうど21時を指していた。転属直後の初見報告は毎回骨が折れるものだが、今日は思いのほかスムーズに言葉が浮かんだ。 「まぁね。校長先生には悪いけど、この学校、かなり材料がそろってるのよね」 保存完了のメッセージを確認すると、画面をザッとスクロールさせて見直す。 学業以外に特徴のない典型的な中堅校。 案の定、抜きんでたクラブもなければ、学園祭や体育祭の出席率も悪い。 また、1クラス50人前後と、これまたよくあるすし詰め学級で、学級崩壊の兆候があるクラスも1つや2つではない。 久川女医は吉巳が配属されたクラスもその一つだった事を思い出した。 「どう?転入初日の感想は」 もう少し気の利いた聞き方はないのか、と久川女医は言うたびに思う。 吉巳本人はなんとも思っていないようだが、妹になると同時に協力者となった彼女に対する負い目がそう思わせていた。 だが結局、仕事が絡んでいると思うと、どうにもうやむやに割り切れてしまう。 「ん〜、いいクラスなんじゃない?」 言葉を区切ると、吉巳は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「…っていうかあ、みんな静かすぎぃ」 「!」 唐突に立ち上がった久川女医は腰を折ると、座っている吉巳の鼻先に触れそうなくらいに顔を近づける。 「ほんっっっとは好きでやってない?」 表情は笑っていたが、こめかみはヒクついていた。 「もー、大事なおねえちゃんのためにやってるのにぃ、ちょームカつくぅ」 「きー!やっぱりワザとやってんのね!」 頭を抱えて天を仰ぐ久川女医。『おねえちゃん』の一言で背筋を通ったゾワゾワがまだ消えない。 「匂うヤツはいたよ。二人ほどね」 その一言に発作がピタリと止んだ。期待と驚きが入り交じった表情で吉巳を見据える。 「でも、なんてったっけ?第九症例?アレはいないと思うんだけどね」 |