S8江藤圭子

 また車体が左にバンクする。
 江藤は両足を上げて、なんとかつま先がアスファルトを擦るのを回避する。
 安堵する間もなく、今度は逆方向にバンク。身体がずれ落ちそうになるのを、前に座る久川にしがみついて、なんとか耐える。
 こんなことならスカートなんか気にして横座りするんじゃなかった、と後悔する。

 10分ほど前、二人は学校から少し歩いたところにある公園にいた。
「なるほど、ホームページが接点だったのか」
 久川は感心したように言うと、ポケットからキーを取り出す。
「それ、あんたのなの?」
「みんなにはナイショだよ」
 イタズラっぽく笑う久川の向こうには、フルカウルの黒いバイクがフェンスにつなぎ止めてあった。
「ま、こんなことくらいしか金の使い道がなくてね」
 およそ学生らしからぬ独り言を言いながら、前輪、後輪、そしてシャフトと、計3ヶ所のロックをてきぱきと解除する。

 道中、尾野と青木のことや自殺ホームページの話をしているうちに、久川は自分に危害を加える気がない事に勘づいていた。
 余裕が出てきた江藤は自然、久川の正体が気になった。
 転入してまだ2日も経っていないのだから素性が知れるはずもない、というのも最もな話だが、何故この件に深入りしようとするのかくらい、わかっても良いはずだ。

 久川の話の聞き方からすると、二人の過去も、陰険な掲示板の事も江藤の口から初めて知ったようだし、いったい彼女が、何を糸口に首を突っ込みはじめたのかすら分からない。
 そもそも主役である二人をさしおいて、なぜ自分なのだろうか。
 なぜ直接二人に聞こうとしないのか。
 思い巡らせてみても結局なにもわからない。
 いや、そういえば、さっき体育館裏で久川は妙な事を聞いてきた。それに青木の名前を出したのは自分のはずだ。

 バイクの向こうでごそごそしていた影が突然立ち上がったので江藤の思考はそこで途切れた。
 久川はいつの間にか三つ編みをほどいていた。指で梳いて解きほぐすと、うっとおしげな前髪と共に後ろでまとめる。
 この学校で久川の素顔を見たのは江藤が最初だろう。
 美人という感じではない。どちらかというと中性的で綺麗な顔立ちの少年といったところだろうか、でも数年経てばそうなる可能性は感じられた。
 今はオールバックにしたせいか、精悍さすら感じられる。

「でも、尾野君だって、よくわかったね」
 見つめ返されて、ようやく自分が見とれていたのに気づいた江藤は、慌てて視線をそらした。
「ああ…」

「自殺ホームページ」の噂が流れ始めたのは尾野が青木にこっぴどくフラれて一ヶ月が過ぎた頃だった。
 江藤はすぐに気が付いた、またいつもの病気がはじまった、と。
 嫌なことがあった日から、きっかり一ヶ月の潜伏期間をおいて、唐突に、かつ実にくだらない事をはじめるのは尾野の行動パターンだった。

 それらくだらない事は、もっぱら衝動的なもので長続きはしない。
 つらつらと思いつらねてみても、江藤は結局、
「まぁ、小学校の頃から知ってるからね」
 とだけ返事した。

 久川は「ふうん」とだけ言うと、じっと彼女を見つめる。真正面から見つめられるというのは滅多にあるシチュエーションではないだけに気恥ずかしくなる。それに久川の瞳は、どこかまっすぐで、心の中すらのぞかれているのでは、と錯覚させる。

「じゃあさ、どうしてそんな書き込みをしたか、自分ではわかってる?」
「え?」
 久川の意図がよくわからない。
 普通こういう時は余計な不安に煽られるものだが、久川のそれは逆だった。専門のカウンセラーが話すとこうなのかも、などと思ってしまう。少なくとも江藤は嫌な気分ではなかった。

「たぶん、気に入らなかっただけだと思う」
 青木本人にも気づかれない、ささやかな復讐。でもいつもの病気にしては半年も続いているのはおかしい。
 そう思うと、どうにもムシャクシャした。だからガラにもなく掲示板に書き込みなぞしたのだ。
 そんな衝動の元を正せば、やはり気に入らなかったからだ。
 彼女は今時珍しく、曲がった事が嫌いで周囲と衝突して不良と呼ばれるようになったクチだ。陰口をたたく輩は問答無用で毛嫌いする。ある程度自分の性質を理解している彼女にとって先の書き込みは自然な事だと思えた。

「…そうか」
 視線を落とすと久川はぽつりと言った。なんだか残念そうだ。
 しかしすぐ顔をあげると、つとめて明るい声で、「プラスでもマイナスでも、ゼロに比べればよっぽどマシさ」などと言い、フルフェイスのヘルメットを放り投げた。

 夕方の帰宅ラッシュを控え、駅前通りは徐々に車両が増え始めていた。
 信号機が黄色に変わると同時に減速する車両の隙間を巡航速度のまま駆け抜ける様は正に爽快だ。
 だが、疾走するバイクとセーラー服二人組という組み合わせは異様にしか見えない。
 久川のバイクテクに身をゆだねるしかない江藤には、当然のことながら気づく余裕はなかった。


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