S9青木雅美

「はい、青木ですけど」
 自室のドアを開けると同時に鳴り出した電話に、雅美はあわてぎみに駆け寄って応えた。

「……」
 雅美は机の時計に目をやる。悪戯電話にしては時刻が早い気もする。
 電話の調子が悪いのだろうか、と改めて応えようとした時、机の上の景色に違和感を感じた雅美は視線を戻した。
 誕生日プレゼントで買ってもらって以来、机上のオブジェと化していたノートパソコンが開いている。

「いいタイミングです。青木さん」
 パソコンを確認したのを待っていたかのような電話の声にどきりとする。
「…誰?」
「本当はただの創作で終わらせるつもりだったんですよ」
 抑揚のない男の声。けれどほんの少しだけ嬉しそうな声だ。

「ナ、…尾野くん?」
「あいつらの馬鹿なリアクションを笑うだけ笑って消すつもりだったんだ。思ったとおりに荒らしてくれたしね、オラトリオなんか最高だった」
 尾野の言葉が理解できない。でも雅美は昨晩と同じ悪寒を背中に感じた。

「なんの事を、言ってるの?」
 気持ちとは関係なくそんな言葉が出てしまう。
 尾野は弾けるように笑った。いつものくぐもった口調とは全く異なる甲高い笑い声は受話器から、そして雅美の背後からも聞こえた。
 反射的に振り返る。
 雅美が開け放ったはずのドアは閉められていて、携帯電話片手の尾野がその前に立っていた。

「雅美さんでもそんな常套句、出ちゃうんだね」
 すっかり馴れ馴れしくなった尾野の口調に気付く余裕は今の雅美にない。
「個人サイトなんて宣伝しないと誰も来ないものなんだ。それも知らずにあいつら、赤の他人だと思って好き勝手言い放題で。ホントは身内同士で罵り合ってんのに、あの馬鹿たち。あ、…雅美さんは書き込んだりしてないよね?」
 こらえきれずに尾野はまた笑った。
「あのURLはね、クラスの人間にしか教えてないんだよ」

 尾野が自分の部屋に居る事実を認めようとしない本能とは別に、理性は昨日からの疑問が解きほぐれていくのを感じていた。雅美はようやく尾野の言葉に追いついたが、尾野はまた引き離しにかかる。

「バレたら止めるとでも思ってたかい?残念だけど、僕はこうなったときの覚悟は決めていたんだ。急だったわりにはうまく準備できたよ。鍵なんかほら、わざと違う場所に戻しておいたんだよ」
 携帯電話を切った尾野は、淡いピンク色のケーブルを両手に持ち直す。それが電気毛布のケーブルであることを認めるのに雅美は少し時間がかかった。
「なんの事言ってるのかわかんないよ」
 何か言わなければいけない、ただ焦るばかりの雅美はそんな言葉しか出なかった。尾野はゆっくり雅美との距離を縮める。
「だよね、雅美さんはいつも僕の言うことがわからないんだ。あのときもそうだった」

 その時、硬質な靴底がフローリングを蹴る音がして、乱暴にドアが開け放たれた。
 勢い、前のめりに弾かれた尾野は、結果的に雅美をかばうような姿勢で前に立った。
 雅美は未だ硬直が解けていない。
 さらに目に映る情報は雅美の心情に関係なく事実を突き付ける。

 雅美と同じ制服の女子高生が二人。一人は江藤圭子。もう一人は見たことが無い。
 目つきは江藤の取り巻きと似ているが、なんというか江藤との立場が他の取り巻きと違うような気がした。


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