S2学園T

 黒い厚手のカーテンの隙間から陽光がもれる。とても弱々しい。
「さきほど、坂井郁子が医大病院に運び込まれました」
 暗がりの室内は、広さこそ曖昧だが、恐らく中央であろう位置に立つ青年は言葉を続けた。
「発見が早く、傷は軽症。ですが、精神面を考慮して三日間の入院を予定しているようです」
 青年は一息おいて「ま、いつもどおりといったところですね」と嘲るように付け加えた。

 彼の周りだけ、蝋燭がいくつか配されていて、ぼんやりと姿を照らす。
 ブレザーにズボン、真っ白なシャツにネクタイを締める彼は、しかし淡い色合いの上着と胸元の紋章が、彼が学生であることを示唆している。
 彼の足元には赤い絨毯が敷かれていて、彼の正面に向かって延びている。
 静寂につつまれた陰鬱な空間、それを照らし出すには不十分な蝋燭、赤い絨毯。彼が学生であることを除いて、これらの舞台装置は、ある場面を想像させる。

「坂井正平氏は?」
 正面の暗闇の奥、絨毯が段差を一つ登った先からの問いに、彼は即答する。
「入院とほぼ同時に駆けつけています。病院の報告によると、今も病室にいます」
 そして今度は含み笑いをもらし、「その日は接待ゴルフだったらしく、ゴルフウェアのまま駆け込んできたそうですよ」と付け加えた。

「今どき珍しく、家庭に重きを置く人物だからね」
 いたわりの混じった闇からの声にも彼はその表情を崩さない。
「だから……」
『未だに地方代議士どまりなのでしょう』
 報告者である彼の感想に被せるように、闇からの声がハモった。
 二の句が継げない彼の正面から笑い声が響く。いたずらに成功した時の子供のような無邪気な笑いだ。

「坂井先生の過去や、行く末なんてどうだって良いのさ」
 闇からの声は先ほどより、少し冷たい口調に変わっている。
「坂井郁子さんが入院したのは何時ごろ?」
 軽口を戒められた彼は、慌てて口調を正した。
「は、はい、当初の予定どおり18時に連絡を入れましたので、入院は18時30分ごろになります」

「半日では『処置』が有効に効かないな……。下校後でも早いか」
 しばしの沈黙。
「よし、明日の夕食後に行くとしよう。瀬野君」
 瀬野と呼ばれた彼は慌てて顔を上げた。余裕の無い、少々引きつった表情である。
「良ければ付き合ってくれないかな?」
 瀬野は、表情を緩めると深く頭を下げた。

 制服姿であることから推し量るまでもなく、瀬野は高校生かそのくらいである。
 その彼が、年齢的にいささか畏まりすぎと思われるこれまでのやり取りをごく普通にこなし、かつ最後にはこんな言葉で締めくくった。

「はい、神野恵様」

 瀬野の返事を確認するように少し間を置くと、不意にカーテンが開かれた。
 瀬野は目を細める。
 鮮やかな夕刻の朱色が差し込む。瀬野が身を置く、白々しさすら感じられる陰鬱な空間とは全く異なる。
 当のカーテンを開いた主は、外からの日差しのせいで、はっきりとした姿をとらえることができない。
 ただ、窓ごしに外の世界を見下ろしている事はわかった。
 眼下には広大な平地があり、体操着姿の学生がランニングしている姿が見える。

「半年前までは、なんら影響力のなかった我々も、すでに裾野は計り知るべくもない。その母体となる、この学園はいまや我々に無くてはならない存在だ」
 市街から少し離れた小高い丘の上に、その学園はある。
 体育館こそ最近改築されたが、木造4階建て3棟からなる校舎は若干の補強工事を受けただけで、戦前に創立された頃と変わらない
 当時の華族によって建てられたそれは、古めかしい洋館をイメージさせる。
 小高い丘にたたずむその姿はさながら眼下の市街地を睥睨するかのようだ。
「一昨日、本学園に赴任した久川保健医……我々、『無垢なる雛鳥』の脅威となろう」


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