S5廊下T 『実行委員会からお知らせです。模擬店を設営するクラスは18時までに備品を取りにきてください』 『体育館に大根30本、放置しているクラス! すぐに撤去してください。展示物が設置できません!』 学園祭本番を明日にひかえる校内は、授業もそこそこに臨時ホームルームの名のもと、準備が着々とすすめられている。 「あ、今のウチのだわ」 「大根て……」 雑談に興じていた女子生徒の一人が席を立つ。 「先生、ご馳走様でしたー」 「戻るのヤだなー」 「なめんな、アタシなんか部の露店と掛け持ちだっつーの」 手にしたマグカップを片付けたり、広げたスナック菓子をまとめたりと、保健室へよく立ち寄る彼女らであれば、慣れたものだった。 壁時計を見上げた摩耶も同じく腰を上げる。今から出発すれば会議に充分間に合うだろう。 「それじゃ、そろそろ閉めますかね」 生徒たちを送り出した摩耶は、手早く片付けると、白衣からジャケットに着替えた。 ジャケットと合わせたタイトスカート、細身のネクタイまで用意したのはもちろん会議のためだ。 「っしゅん!」 廊下に出て保健室を施錠する摩耶の背後で、最近よく耳にするくしゃみ。 予想のとおり、振り返れば吉巳が居た。両手に特大紙袋をぶら下げている。 「センセすみません。ちょっとこれ持ってもらえますか?」 学内では敬語で話す吉巳に、いくばくかの違和感をぬぐいきれないまま「ほいほい」と、差し出された紙袋を受け取る。 「なっ」 思った以上の重量にふらつきそうになる。紙袋からのぞくのは白い布切れのかたまり。 「なにこれ?」 「テーブルクロスですよ」 なるほど、実行委員から借り受けたといったところだろう。しかし女の子一人で運ぶには少々辛い重さではある。 吉巳はというと、空いた手で取り出したハンカチを鼻にあてがっている。 「いいよ、そこまで持ってあげるわ」 「たすかります。鼻がこの調子だから、両手が塞がってると不便だったんですよ」 ハンカチをポケットにしまうと吉巳は歩き出した。その足取りはしっかりしたもので、というよりも、摩耶がかかえる紙袋より大きいソレを持っているにもかかわらず、あまりに普通な歩き方である。 「重量じゃなくて、そっちのほうが重要なのね……」 振り返った吉巳は、聞き取れなかった様子で首をかしげる。 口をつぐんだ摩耶は苦笑いをかえした。 「いや、やっぱり素の方がいいなー、って」 ごまかしの台詞に、なおさら首をかしげる。 以前、コスプレまがいの変装を強要した摩耶であったが、吉巳はもとより仕掛けた摩耶にも不評であったため、今回の吉巳の出で立ちは素である。 事ここに至り、意味を理解した吉巳は細めた目で摩耶を睨みつけた。 元が鋭い印象の吉巳は、この手の剣呑な表情が妙にハマる。 加えて、乱雑にまとめられた赤みがかった髪が、ともすればなんだか素行不良な学生にすら見えてしまう。それゆえのコスプレであったのだが。 「アレはお互い忘れたほうがいい」 「そ、そうね」 言い捨てて歩き始める吉巳に、けっきょく苦笑いで答えるしかない摩耶がついていく。 なんだかさっきからヤブヘビめいた会話が続いている。 「でもまぁ、今回は私だけの作業になるわけね」 「たまにはイイんじゃない?」 摩耶と会うまでは二袋まとめて持っていたはずの吉巳が、摩耶の歩調に合わせながら言った。 片眉を上げて、嫌な笑みを摩耶に向けて続ける。 「良い教師のそばに居すぎると、生徒はダラけるだけだろ」 うっ、と口ごもる。 机上の空論、とまではいかないまでも、摩耶が研究室で学んだことと実際とでは隔たりがあった。 先日の、イジメと掲示板にまつわる一件などは良い例だった。 イジメる側の少女とイジメられる側の少年の、実はバランスがとれていた奇妙な関係。 無論、調査という名目でフィールドワークに出たのは、それが目的である。 理論と実践の違い。吉巳はそれを指し示してくれる。 「でも、ここは問題無さそうだわ。進学校のわりに校風は自由だし、周囲の環境も悪くない。生徒たちだって、代議士とか市民病院の院長とかのお嬢さま、お坊ちゃまばかりだしね」 「最後のは関係ないんじゃない?」 「大アリよ。裕福だってだけでも心の余裕にはなるのよ」 階段に差し掛かって、二人の歩みが止まる。 摩耶はこのまま職員室を経由して玄関へ、吉巳は階段を上がって教室へ。 紙袋を差し出しながら、摩耶が続ける。 「親が子供に愛情を注ぐ余裕、子供がそれを感じ取る余裕、そんなものよ」 日も傾き、下校時刻が近づいていても、ほとんどの生徒はまだ校内にいるのだろう。 ここは職員用の階で静かな方であるが、階上からざわめきが伝わってくる。 「じゃ、行ってくるわ」 「ああ……。あ、センセ」 少し間のあいた呼びかけに摩耶は振り返った。 両手に紙袋をぶら下げた吉巳が、階段を上がろうともせず、突っ立っている。 一瞬視線があう。 先に視線を逸らせたのは吉巳だった。うつむき加減で「ごめん」と小さく言う。 摩耶は納得した。 たしかに吉巳はこの学園を気に入っているのかもしれないが、昨晩のアレは、それだけが理由ではなかったのだ。 吉巳にとって身内と呼べるものはいない。摩耶との姉妹としての関係も書類上のものでしかなく、吉巳にとって心もとないものなのだろう。その不十分さを補填するのが、「協力者」としての立場だ。 けれど今回はそれもままならない。吉巳はそれが不安だったのだろうが、ある意味、摩耶にとって盲点であった。一見辛辣な吉巳のイヤミですらそれなりに受け止められるのも、どこかで姉であると意識しているからだが、吉巳にとって姉妹よりも協力者としての関係を強く感じているようだ。 たかだか一年ていどで本当の姉妹の絆が出来上がるとは思っていない。 ふいに摩耶は思い出した。 パイプ椅子に投げ出された身体、乾いた表情、でも瞳だけはギラギラと活きていた。 『こんにちは、橘吉巳さん。食事は口に合ってる?』 などと軽口をたたいてみたものの、今まで感じたことのない、ザラついた印象に困惑した。 その後、吉巳の実家を説得し、予犯委のツテで児童福祉審議会を納得させ、吉巳を久川に迎え入れた。 「吉巳」 名前を呼ぶのは久しぶりだな、などと思いつつ摩耶は微笑んでみせた。 「今回は姉さんにまかせて、せいぜい楽しんでらっしゃい」 吉巳は、「あっ」と小さくつぶやく。 理由もわからずに、突然親に叱られた子供のような表情。 少し笑みがうかぶ。 「たくもーなんで、か弱い女の子一人で行かせるかなー」 「いやほら、資材の搬入があったし」 階上から、そんなやりとりが聞こえたかと思うと、踊り場に二人連れの生徒があらわれた。 「あ、いたいた、ひさがわさーん」 男子生徒が慌てて階段を下りる。 「ごめんね、荷物持たせちゃって」 吉巳は突然のことに「あ、いや」などと対応に困りながら、差し出された男子生徒の手に導かれるがままに紙袋を渡す。 「佐古に聞いたら、久川さんにお願いしたって。ほら、佐古ってボケボケしてるから気がつかなくってさ、許してやってよ。……で、佐古ぉ、こんなの女の子一人で持てるハズないだろが、ボケボケしてんじゃねーよ」 紙袋を受け取った男子生徒は、一方的に喋りつづける最中、片割れの女子生徒が下りてきた。 「ごめんなさい、久川さん。テーブルクロスってもっと軽いヤツかと思ってて」 そのまま男子生徒を通り過ぎて吉巳の横にならぶ。 「んなワケねーだろ、学校の支給品なんだぜ、……っとにボケボケしてるなー」 「うわ、須藤ちゃん、ボケボケ言い過ぎ」 「おまえはボケ役だからそれでいいんだよ」 「あ、言っちゃったよ須藤ちゃん、つーかツッコミ役としては、あまりにも語彙が少なくね?」 あっけにとられる摩耶に二人が気づいたのは、これら一連のやりとりが終わってからだった。 「あ、久川先生、こんにちはー」 「こんにちは〜」 摩耶は、一拍おいて余裕の笑みを浮かべると「こんにちは」と挨拶を返した。 「それじゃ、学園祭がんばってね」 一階へ降りる摩耶を見送りつつ、佐古と呼ばれた女子生徒が甘いため息をついた。 「久川先生って、美人よねえ」 「けっこう重いな、コレ。そういえば、久川さんって、先生の妹なんだよね」 両手に紙袋をぶらさげた男子生徒――須藤が二人を三階へ促しながら尋ねる。 吉巳が「まぁそんなところ」と、控えめに答えると、佐古が二人の間に割って入ってきた。 佐古の背後を女子生徒が通り過ぎる。その先は一階への階段だ。 「あんまし似てないよねー、よく言われない?」 ずい、と顔を近づけ、心底不思議そうにしげしげと吉巳を見つめる。 「ど、どうだろ、よくわかんないね」 思わず上体をひいた吉巳は視線をそらすと、先ほどの女子生徒の後姿が見えた。一瞬見えた襟元のピンは3年生を示すものだった。 「って、ヒデー女だなオマエは。あ、久川さん、こんなのの言うこと鵜呑みにしなくていいから」 「あぁん、ちがうちがう、そういう意味じゃなくって」 呆れ口調の須藤に、大慌てで両手と首を振って否定すると、佐古は照れた表情で改めて吉巳に顔を向ける。 「久川さんはぁ、なんかカッコイイというか、ウチの男子なんかメじゃないっていうか、ジーパン姿見てみたいっていうか」 「なに妄想入ってんだテメーは」 「だぁー、うっさいね須藤ちゃんは。久川さんもうこんなの置いて、行こう」 手ぶらでズカズカ階段を上がる佐古に、呆れつつも後を追う須藤。そんな二人を見上げる吉巳は苦笑まじりにつぶやいた。 「なんか……疲れる」 |