S8応接室T

 静かなノックで丁寧に通された部屋は、一対のソファーとテーブルにカウンター、簡素ながらも落ち着きを感じさせる応接室だった。転任と転入の挨拶に訪れた日と同じだ。
 軽く会釈し、座るよう促す老人もなんら変わるところはない。
 浅く腰掛けて、そしてさきほどの違和感が何であったか気づいた。応接室まで案内してくれた女子生徒が、摩耶の傍らに立っている。なぜ学園長は彼女を寄越したのだろうか。普通なら校内放送を使うだろう。
「内密に……」
 不意に差し込まれた声が、思わず女子生徒へ顔を向けさせる。
「内密にしてらっしゃることがありますね、久川先生」
 そう言うと彼女はいつのまにか手にしていたレジュメに視線を落とした。

「少年法改正後も凶悪化の一途をたどる未成年者による犯罪に対して、文部科学省は警視庁犯罪行動科学課と連携し、『未成年者による犯罪予防委員会』、通称『予犯委』を発足――」
 一息ついて摩耶を無表情に一瞥する。対する摩耶も無表情に女子生徒を見つめている。
「――活動の第一段階として全国の高等学校へ調査員を派遣し、現状分析を行い、対策の指針を策定する。調査内容は、1.学内生徒を犯罪行動科学的見地から分析、2.サンプリングした生徒の性格診断テストの実施、3.前項2の結果分析、4.前項3に基づくブラックリストの作成と提出。なお、受診した生徒のプライバシーを尊重するため、これらの調査内容は協力いただく学校責任者、および調査上必要な場合に限り教師、事務員への開示のみとする」
 女子生徒が読み上げたとおり、摩耶の調査員としての仕事はごく一部の職員にしか知らされていない。摩耶は正面の人物を見据えた。
「学園長?」
「では、久川先生……この娘たちをよろしく」
 笑みをたたえながら老齢の学園長は席を立って、そのまま出て行った。
 入れ替わるように、久川の向かい側の席に座った女子生徒は、呆れたものだと言わんばかりに口を開いた。
「ようするに犯罪予備軍を事前にこっそり掌握しておこう、ということかな。プライバシー云々とは聞いて呆れる話だね」
 当然ながら、学生個人の人権をないがしろにした調査であるから公にできるはずもなく、仮に露見すれば方々から追及され、逃れる方便すらない。それに調査員は摩耶一人であるはずもなく、相応の公費も掛けられている。追求の矛先は文部科学省全体に及ぶだろう。
 だが、摩耶は軽い口調で切り出した。
「まぁねー、お役所なんてそういうものよ? でも気にならない? 正直わけわかんないよね、学生君たちの犯罪って。どういう考えでやったのか、とか気になるでしょう?」
 相手が知る事実の重要性を軽く感じさせるためのごまかしだ。
 摩耶自身、よくもこんな一方的な調査を役所が認可したものだ、と思うのだが、その存在を認めつつも、深く知ることも聞くこともない。そうなければ否定も肯定もしたことにならない、公務にはそんな力学が確かにある。摩耶の返事はある意味事実であるといえた。
「お話が早くて助かります。では本題に入る前に、先生の手荷物をお預かりしてもよろしいですか?」
 丁寧な物言いであるが、『お願い』ではなく『取引』である。すでに生徒と教師という関係ではないと摩耶は理解したうえで、従うことにした。ハンドバックを手渡すと、ソファーに深く腰掛け直して肩の力を抜く。
「さ、続きをどうぞ」




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