S10応接室U

「じんの、めぐみ?」
「そう、だから学園長は甥になるのかな。こんな状態になっても、よくしてくれているよ」
 摩耶は昨夜の吉巳とのやりとりを思い出す。集団意識の延長線上に形成される人格――。
「ヤバー、こいつイッちゃってるよ……。あるいは、多重人格障害、かな?」
 神野恵と名乗る女子生徒は自嘲的な笑みをうかべて、そんなことを言ってみせた。
 戦前、この学園を設立した初代神野学園長の孫、祖父の学園に入学する直前に不慮の事故で死んでしまったと言う、目の前の女子生徒。

 人格障害において形成される人格――副人格の出自はそれほど重要ではない。死別した肉親、歴史上の偉人、まったくのオリジナル、過去の症例をみても副人格のバラエティの豊富さは枚挙にいとまがない。
 なぜなら主人格が外的ストレスによって行き場を無くした時、逃げ道を見出すために形成されるのが副人格であるからだ。
 たとえば「逆ギレ」がそれに近い。追い詰められて、開き直り、怒ることで事態を打開しようとする。怒りとは主人格の振幅であるから副人格とまではいえないが、基本構造は同じだ。
 過度のストレスに晒された場合、主人格の振幅では事態を収拾できず、むしろ事態に対応できそうな人格をこじつけるのである。
「どちらかといえば後者ね。あなたは診察してもらいたいの?」
「いいえ、その必要はまだない」
「なるほど、でも凄いわね、学内は掌握しちゃってるってこと?」
 素直に感心してみせる。相手を決して否定してはいけない、カウンセリングにおける鉄則だ。
「さいわいにして、この学園の生徒は有望な人材が多くてね。彼らを通じて、我々『無垢なる雛鳥』に賛同してくれる企業や政治団体はいくつかある」
「……生徒にも手を出してるのね」
「学校にやってくる生徒たちというのは、『集団』という見方をすると企業集団や、習い事で集まるそれらと比べて、あまりにも目的意識が希薄でね。もともと将来の進路を模索する場だともいえるから当然なのだけれど。おまけに自分で学費を捻出しているわけでもないから本人の義務感も少ないし、学校側も塾ではないから実績が求められるわけでもなく校則以外の強制力や権力もない。だから我々の理念をみな素直に受け入れてくれたよ」
 付け加えるなら、外界との接点が少ない点も問題だ。彼女が言ったようにマインドコントロールを施しやすい環境にあり、なおかつそれが露見しにくい土壌でもあるのだ、学校というヤツは。

 ノックの音とともに別の女子生徒が入ってきた。彼女もまた3年生だ。
「失礼、用事があるので替わるよ」
 副人格はたいてい言動が滅茶苦茶な場合が多く、つじつまがあわない。主人格の都合だけで形成されるのだから、むしろ当然といえる。
 出自がオカルトという点で『神野恵』も当てはまる。
 しかし、祖父の創設した学園に入学する直前に不慮の事故で亡くなったという孫の未練と、『無垢なる雛鳥』とやらを構成するのが彼ら、この学園に現在在籍する生徒たちであることは、時系列的に関連している。
 さきほどの学園長を見る限り『神野恵』である必然はあったようだ。また、どこまでが事実なのか妄想なのか判断できないが、目的意識も明確で実現方法も具体的だ。人格としてかなり成熟している。
「あなたも『神野恵』なのね?」
 さきほどの女子生徒はさっさと退出してしまった。代わりの女子生徒が同じく摩耶の向かいのソファーに腰掛けると、レジュメから数枚を抜き出してテーブルに並べ始めた。
「久川先生に教えてほしいことがあるんだ。1年前に久川家が養女として招き入れた、あなたの妹さん、久川吉巳さんなんだけど」
 いきなり出た身内の名前に、ドキリとする。
「彼女は何者なんだい?」




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