S21学外U

 繁華街から少し外れた幹線道路は、車両の往来こそあれ、人通りは皆無だった。
 バスの停留所に立ち寄ってみた吉巳たちであったが、電車の始発が無い時間帯に、バスが運行しているという期待は、予想通りであったとはいえ、少々虫が良すぎる期待だったのだろう。
 時刻表から顔を上げた吉巳は、街路の向こうに見える丘の学園を見やる。
 学園の明かりは煌々としていた。徹夜組のクラスなどが学園祭の準備に忙しいのだろう。
 やはり徒歩か。
 丘の麓にある学園専用道路の入り口は、幹線道路沿いにある。道なりに進めばたどり着けるだろう。
 タクシーを使うという須藤の提案は却下した。カラオケのバイトが思い出されたからだ。

「久川さん、お待ちどー」
 小走りに須藤が戻ってきた。コンビニ袋を片手にぶら下げている。
「バス、どうだった?」
 黙って肩をすくめる吉巳。
 とりあえず缶紅茶を吉巳に渡す須藤も、半ば予想していたのか気にする風でもなく、「んじゃ、歩きだね。一時間くらいかかりそうだけど」などと言いながら須藤が歩き出すので、吉巳もそれに従った。

「そういえば、佐古さんとは長いの?」
 なにげなく聞いてみて、プルタブを開けた紅茶を口にする。
 本格的な冬にはまだ間があるとはいえ、寒空に暖かい紅茶は身に染みた。
 むしろ、学園を出てからまともに食事を摂っていない事に気づく。
「いや、2年になってからだよ。……ってなんで?」
「二人の掛け合いに年季を感じたからね。幼馴染とかだと思った」
 幹線道路を跨ぐ歩道橋にさしかかった須藤は、それを聞いてふき出すように笑った。
「ないない、イマドキそんなの。ていうか、子供の頃の知り合いだったら、かなり歪んだキャラになってるよ」
「そうか、ウマがあうってヤツなのかな」
 歩道橋の階段を上がり、ちょうど真ん中あたりで立ち止まった須藤は、コンビニ袋をあさり始めた。
「オレは漫喫で軽く食べたけど、久川さんは何も食べてないよね。適当にみつくろってきたんだけど、サンドイッチとかで――」
「コロッケを」
 彼なりの女の子への気遣いを斬り捨てるかのように吉巳が言う。
「そう? でもコレって売れ残っ――」
「そのっ、コロッケを、ください」
 またも須藤の台詞を遮るのは、なぜか丁寧語になっている吉巳の声であったが、その語気には妙な迫力があった。
 女の子の食事に何も食べずに付き合うというのも失礼な気がして、では自分の分もと、何も考えずにチョイスした売れ残りっぽいコロッケであったが。
 とはいえ、気にする事でもないので、包みから少し出して手渡す。
 片や吉巳は、飲みかけの缶紅茶を手すりの上に置いて、恭しく両手で受け取る。
「へぇ、コロッケ好きなんだ」
 須藤の問いに反応せずコロッケに集中する吉巳を見れば、愚問であったことはすぐに知れた。
 なんとなく手持ち無沙汰になった須藤は、「ああ、空が白み始めてきてるねー」などと、どうでもいい事を口にしてみた。

 携帯電話の着メロが響いたのは、そのときだった。
 吉巳の携帯電話ではない、男子生徒から拝借した方でもない。どちらもマナーモードに設定しているからだ。
 などという事を確認するまでもなく、音源はすぐに知れた。
「親が持たせてくれない、とかって言ってなかったっけ?」
 それだけ言うと、コロッケの残りを口に放り込む。味わう暇すらない。
 須藤は一言二言応答して、電話を切った。
 彼はすでに吉巳から間合いを開けて立っている。その背後には、服装もばらばらな数名の人影が見えた。
「これは違うよ。携帯電話じゃなくてPHSさ」
 皮肉を交えたわけでもなく、まったく当たり前のように言う。
「久川さんが電話に出てくれないから、大変だったよ」
 須藤と対峙しながら背後を窺えば、やはり人影が見えた。うまく追い込まれたというワケだ。
「久川摩耶さんが我々のところに居るのは、分かっているよね? だからさ、久川さん、ここは大人しく来てもらえないかな?」
 笑みを浮かべる須藤。
 しかし目は笑っていない。
「久川さんだって、『まともな状態のお姉さん』と会いたいだろう?」

 須藤を真似て口元を歪めた吉巳は、嘲るように言い返す。
「なるほど、なるほど。あんたたちは『まともじゃない状態』にされても構わない覚悟で、今ここにいるってワケなんだね?」
「違うよ久川さん」
 須藤は再びPHSを取り出す。
「我々は本気だ。久川さんは分かっているだろう。痛みを伴うほどにね」
 須藤の言葉を察した吉巳の形相が変わる。
「我々が直接手を下す必要はないからね。我々のお願いを聞いてくれる人はたくさんいるんだよ」
 歯を食いしばり、須藤をにらみつけていた瞳がゆらぐ。
 片手で顔を覆い、「わかった」と小さくつぶやいてうなだれる。
 そして、搾り出すように言う。弱々しい悲痛な声だった。

「あの人には、何もしないで。あたしを受け入れてくれた、唯一人の姉さんなんだ」
「久川さんが来てくれるなら、問題ないよ」
 答える須藤の前に2人の男子生徒が歩み出る。駅前の一件を知る須藤に警戒をゆるめる気はなかった。
 そしてまた、吉巳と久川摩耶の素性を知ればこそ、この展開は予想どおりの事であった。こちらからの連絡を無視し、没交渉をつらぬく姿勢は、つまり事態を遅延させて有利な交渉材料を模索するためだ。それは裏返せば、久川摩耶という手札を突きつけてしまえば、吉巳には打てる手が無いということだ。内心ほくそ笑む。

 よろめくように吉巳は欄干に手をついた。飲みかけの缶紅茶が近くに見える。
「佐古さんも……、あんたたちの仲間なの?」
「違うよ。いや、厳密に言えば無関係じゃない。アイツはいわば、テストケースみたいなものさ」
「テストケース?」
「アイツは占星術研の一人だったのさ。儀式に参加せず、今で在り続ける事を望んで、我々がその願いを叶えた」
 顔を覆っていた手を下ろし、困惑の表情を向ける吉巳に、須藤は軽く笑ってみせる。
「追々話してあげるよ、そういうことは」

 さらに歩み出た二人の男子学生の向こうに、再びうなだれる吉巳が見えた。
 欄干についた手はそのままで、右手をブレザーの懐に入れていた。
「無垢なる雛鳥か」
 それは吉巳の声だった。一転した口調には弱々しさの欠片もない。
「巣立ちを拒む自身を誇示している、といったところかな?」
 問いかけのようだが、吉巳は答えを待たない。
 ブレザーの懐にあった手は、いまや頭上に上げられて、掌中には携帯電話があった。
 周囲に見えるように掲げたかのようなソレに、吉巳を取り囲む学生たちが注目してしまった最中、その曲は流れた。
「けっきょくのところ、飛べない雛の死に場所は、巣の中にしかないんだよ」
 吉巳の唐突な変化に混乱した須藤は、その曲の意味を察知することに"遅れた"。
 周囲の学生も同様で、ただ『禁じられた遊び』だけが聞こえる。

 刹那に悲鳴。
 須藤の前に出た一人がのけぞっている。顔には、吉巳が飲みかけていた缶紅茶。だが、缶そのものは同時に繰り出された肘鉄でひしゃげている。
 肘鉄は左腕によるもので、その挙動と併走した左脚が、もう一人の膝を薙いでいた。
 片脚の支えを失った男子学生の上体が傾く。その傾きの挙動を生かしたまま、添えた右腕で男子学生の角度を調整した吉巳は、その腹部に蹴りを放つ。
 空手などで基本とされる、中段前蹴り。初動から繰り出すまでの動作が少なく速射に向いている分、威力は期待できない。
 だが、標的とされた男子学生の身体は、その威力にそぐわない挙動を見せた。
 浮いたのである。
 須藤の位置から見れば、まさしく蹴り飛ばされたかのようだ。咄嗟に横へ避ける。
 この間隙は決定的なものだった。
 まるで放り投げられたかのような男子学生の落下をやりすごした須藤の目の前を吉巳が駆け抜ける。その先で棒立ちになった学生たちをすり抜けていった。
 それでも吉巳の動きに反応できた者が何人かいたが、完全に先手を打たれた現状では、迎撃が許されるはずもない。攻撃の素振りを見せた者は、ことごとく先んじた吉巳に駆逐されていく。
 崩れ落ちる数名を足跡とするかのように、易々と吉巳は包囲を抜けた。




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