S23東門T

 学園の東門は、創立当初に作られたもので、防錆処理が今ほどではない頃に鋳造された門扉は赤黒く変色し、門構えのアーチも歪んでいる。
 正門とされる西側の門とは別に資材搬入用途で作られた東門だったが、道路整備の目処が立たたないまま、以降放置されている。鬱蒼とした林は門の目の前まで影を落とし、昼日中でも薄暗い。

 そこから少し林に分け入ると、小さな祠が祭られている。とはいえ、手入れは久しく忘れられ、その荒れ具合は東門と大差ない。
 佐古はその傍らにいた。膝を抱えて祠と並ぶように座っている。
 東門を背中にする向きで座る彼女は、ぼーっと丘を下る林を眺めている。時折、手にした缶コーヒーをすする。
 周囲は明るくなっていた。鳥のさえずりが聞こえる。
 寒さを紛らわせようと、来る前に調達した缶コーヒーを飲み干すまでもなく、気温はすごしやすい暖かさになっていた。

 不意に佐古が立ち上がった。
 林の奥に人影を見つけたのだ。相方の須藤と期待しての事だったが、少しシルエットが違う。
 うっかり相手に姿を見せてしまった軽率さに不安を覚えた佐古だったが、人影の輪郭がはっきりしてきて、杞憂だったと安堵した。
「ひ、久川さん!?」
 安堵したのもつかの間、今度は人影に向かって駆け出す。

「……って、しばらく見ない間に、なんというか」
 林から姿を現した吉巳をしげしげと見る。
 髪型まで変えた男装にも驚きであるが、それよりもボロボロな制服に危うい緊張感を感じる。
 肩口や裾の裂けた上着とズボン。力任せに破かれたような跡もあれば、刃物で裂かれたような、きれいなものもある。所どころについた黒いシミも、どうにもバイオレンスな匂いがぷんぷんする。
「やっぱりここだったね」
 それでも吉巳は涼しい顔で答えただけだ。
「うん、でも須藤ちゃんがまだ来てないんだよ」
 相方の行方に不安を募らせる佐古に、吉巳は
「っしゅん!」
 と、くしゃみで返してしまった。
 そもそもこの場所で落ち合う約束を取り交わしたのは佐古と須藤だけだった。
 それを吉巳が知っている風であるのは、吉巳が須藤と接触しているということになる。
 少し推理すれば佐古にも分かることであったが、鼻頭をこすりながら「ゴメン」と謝る吉巳に何故か見とれる佐古に、そこまでの思慮は及ばなかったようであった。
「て、あ、いや、大丈夫?」
 取り繕うように気遣ってみせる佐古に、吉巳は笑顔で答えた。
「いや、もう大丈夫なんだ」
 少し尖った笑みだった。

 携帯電話の、マナーモード特有の低い振動音。
 ブレザーの内ポケットから取り出した携帯電話は、メールの着信を告げていた。
 吉巳はメールを開いて、ざざーっとスクロールする。好奇心に躊躇のない佐古が覗き見て、その文面に怪訝な表情をみせた。

『駅前から移動した対象Bは、幹線道路沿いに学園に向かっている』
『対象Bと市民公園で接触』
『対象Bは男装している。男子制服に短髪』
『烏山バス停留所前で対象Bと接触』
『一般学生から乱闘中の対象Bを目撃したとの情報』
『八代町三丁目交差点付近に待機していたチームからの連絡がない』
『対象Bとの接近戦は数で押せ、一対一で決してやるな。ていうかアイツの動き、わけわからん』
『曖昧な情報を流布するな。近隣校の格闘技系部員にも召集を』
 携帯電話は、男子学生から拝借したものだ。メーリングリストのようなものだろう、全て同じアドレスが送信者となっている。

「なにこれ?」
「戦利品ってヤツさ。けど持ち主は『無垢なる雛鳥』そのものではなく、取り巻きみたいなもののようだね。こちらが期待した情報は持ってなかった。でもまぁ、戦況把握には充分だった」
 ここへ来るまでに、吉巳は携帯電話のメールボックスやアドレス帳、通話履歴などざっと調べていた。
 内部の連絡手段として携帯電話が重用されているのは間違いなかった。特にメールは、その膨大な件数に全て読むことを断念したくらいだ。
 だが、斜め読みでも類推できたのが、旧占星術研の、つまり『無垢なる雛鳥』を頂点としたシンプルな権力構造が構築されている事だった。
 情報統制、指揮系統、いづれも堅実にまとめられている。
 だが、メンテナンスはお粗末なものだ。敵側に傍受されてしまっては、なんの意味もない。
『各方面に散開したチームへ通達。学園前バス停留所まで戻り防衛線を構築せよ』
 最新のメールを読み終えて、吉巳は鼻で笑う。
「いつまでも同じ場所にいるものか」
 いまいち状況に付いていけていない様子の佐古は、不安げにつぶやいた。
「ねぇ、久川さん、これって――」

 最初に気づいたのは吉巳だった。
 顔を上げて、その方角に目を向ける。
 東門を正面に見て左手。つまり学園の南側にあるグラウンドと、それに面した校舎の方角だった。
 実際のところ、彼女らの立ち位置からでは、他の校舎に遮られて見えない。

 いわゆるそれは、気配というやつだ。なにか切迫した雰囲気。
 一人や二人が息を呑む程度では、それは感じられないだろう。
 だが、それが数十人、数百人となれば、空気を振るわせる。そんな微妙な変化を人は無意識に感知する。
 遅れて気づいた佐古も振り返ると、吉巳と同じ方角に目を向ける。
「もう始まったのか」
 思わずつぶやいた吉巳自身、何が始まったのか理解していない。
 むしろ始まった出来事そのものに興味はなかった。だが、このタイミングで摩耶が巻き込まれていないはずがない。

「佐古さん、占星術研が、いや『無垢なる雛鳥』が集まる場所を教えてほしいんだ」
 表向き廃部扱いとなった占星術研に、部室があてがわれていない事は吉巳も知っていた。
「別棟に、以前生徒会が使ってた空き部屋があって、そこで集会しているって聞いた事あるけど、それより須藤ちゃんが」
「センセが、久川先生が拉致られてる」
 佐古の台詞を遮るように言う。正面に見据え、佐古の両肩に手を置く。
「助けたいんだ。案内してほしい」
 吉巳の真剣な表情に思わず首肯してしまった佐古だった。




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