S25応接室[

「ありえない、マジありえない」
 摩耶は思わず愚痴る。
 むしろ、愚痴らなければやっていられないというのが正しいのだろう。
「ていうか、なんで応接室が2階にあんのよ」
 いまや命綱となったカーテンを握る手が震える。
 さきほどまで応接室にあった摩耶の姿は、今、校舎の外壁にあった。
 ラペリングなどという体裁の良いものではない。2階の応接室の窓から垂れ下がったカーテンにしがみついてズルズルと降りていく。
「こんなの……、私の役回りじゃないのに」
 足元を見るなど怖くて当然できない。かといって眼上の、手すりに縛り付けたカーテンが千切れはしまいかと、ビクビクするのも御免だった。
 自然とグラウンドの向こうに見える校舎に目が向けられる。
 4階建て校舎の屋上に並ぶ女子生徒たち。顔までは分からないが、髪形や出で立ちで誰かは知れた。

 数刻前。

 職員や来賓客向けに建てられた別棟に、摩耶の居る応接室はあった。
 グラウンドに面する校舎と渡り廊下で繋がる別棟もグラウンドに面している。必然、そこで起こっている異変も知ることができた。
「そういうことなのね」
 窓際から振り返って、摩耶はテーブルのノートパソコンを見る。
 ノートパソコンの画面には、いくつかのウィンドウが開いていて、その一つにデジタル表示でカウントダウンしているものがあった。
 リモートデスクトップとか、リモートアクセスといわれるソフトである。
 ネットワーク経由で他のパソコンを操作することができるソフトで、ウィンドウ内には、他のパソコン上で表示されている画面そのものが表示され、手元のパソコンから直接操作できる。
 デジタル表示のカウントダウンは、他のパソコン上で動作しているタイマーソフトであると分かる。
 テーブルに戻った摩耶は、ウィンドウのメニューを操作する。
 他のパソコンと接続されてはいるが、こちらからの操作がロックされているのは確認済みだ。
 タイマーは10分を切っていた。よく見れば同じ画面にメーラーらしきソフトが起動しているのが分かる。摩耶の予想が正しければタイマーソフトとメーラーは連動している。

『これで事前に予約しておいた『お願い』を聞いてもらえるのさ、テレビ番組を録画するようにね』
『我々は何も手を下さない。今までどおりにね。ただ、自らお願いするだけの事さ』

 タイマーソフトを起動しているパソコンを操作することはできないが、リモートデスクトップのソフトから、接続先のパソコンの情報を調べる事は出来る。
 学内のパソコンで、かつ学園のネットワーク管理者がまっとうに仕事をしているのであれば、各パソコンの情報に設置場所がコメントされているはずだ。
 はたして、それはあった。
『別棟4階第二教室No.02』
 同じ建物内であることに安堵するが、猶予があるわけでもない。
 ここに至り、はたと気づく。摩耶の私物は神野恵に押収されたままだ。さらに室内には内線電話も見当たらず、むしろ家具以外なにも無い簡素すぎる応接室だった。つまり、外部と連絡する手段がない。
 逆に在るのは、応接セット一式と、何も置かれていないカウンターに、厚手のカーテン。
 タイマーの残り時間は5分と少し。考えている暇は無かった。

 1階の窓ガラスに足が触れたので、思い切って飛び降りる。低いヒールが幸いしてか、一瞬ふらつく程度で済んだ事に安堵する間も無く、摩耶は駆け出した。
 再び別棟に入る。
 建物の中に人の気配は……、などと警戒することすら忘れて階段を駆け上る。
 そして3階で出くわした。
 年齢は70歳くらいだろう、相応の威厳を保ちつつも気さくな老人が一人。ちょうど階段を下りようとしている様子だった。
 唖然としながらも摩耶はつぶやいた。
「神野学園長」
 すでに昨日の事となってしまった応接室でのやりとり。学園長はあの時とまったく変わらない柔らかい表情で摩耶を見据えている。
「ああ、ご苦労様。しかし開祭式には、まだ時間がありますよ」
 摩耶に緊張が走る。一瞬思案した末、探るように摩耶は言った。
「学園長、あの子たちを止めてください」
 しかし学園長は、むしろ困った風に返答した。
「ああ、その、申し訳ない。来賓の方はまずは1階の受付で手続きしてもらえますかな」
 一瞬目を見開いた摩耶は、すぐに表情を翳らせる。
「学園長、失礼します」と、すれ違いざまに言うと4階まで駆け上がった。
 事務などを目的に建てられた別棟のたたずまいは小さなもので、各階に小さな部屋が4つしかない。
 労せずして目的の部屋は見つかった。人の姿はなく、明かりのない薄暗い部屋にパソコンのディスプレイだけがぼんやり灯っている。
 半開きのドアを開けて部屋に入る。すぐに室内の異様が知れた。
 真ん中に赤い絨毯が敷かれ、奥に設えられた段差にまで続いている。絨毯の両側には背の高い燭台がいくつも配置され、さながら祭壇のようだった。
 異様ではあったが、しかしそれだけだった。
 目的のパソコンに近づく。
 段差側を奥とするなら、手前側の窓際にパソコンはあった。細身のサイドテーブルに置かれていて、それ以外は椅子もない。

 ディスプレイの表示を確認して、マウスを操作する。
 カウントは1分を切ったところで止まった。




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