---- 図書館
「話には聞いたことあるけど、普通こんな所でするかなぁ」
 声に出さずにつぶやいた紗々川が背を預けている書棚の奥。
 陽光に照らされて、たたずむ二人の少女が見える。
 ショートヘアの少女を、もう一人の赤みがかった髪を肩までのばしている少女が抱き寄せていた。
 二人の影を見て、すぐさま書棚に隠れた紗々川にはその程度しか分からなかった。
 しかし、二人が唇を重ねているのは確認していた。

 しばし、悩む。
 たしか、二人のいる席が春休みに入ってから、ずっと使っていた閲覧席のはずだ。
 閲覧席には学内ネットに常時接続されているPCが設置されている。本来、共用端末なのだが、紗々川は自分の使い勝手良くカスタマイズしていた。
 少々手を加えるだけで効率は格段に上がる。今回の作業は検索・情報収集が主体なのでアテにして来てみたものの、先客に阻まれている、というのが現状だ。
 紗々川は手元の新聞紙に目をやる。
 これだけで情報が集まりきるとは到底かんがえられない。

「でも、せっかくの逢瀬を邪魔しちゃわるいよね」
 二人に言い訳するようにつぶやいて、書棚から離れようとした。
「じゃ、今夜…」
「はい…教会跡で」
 二人の言葉が耳に入る。紗々川は頬を真っ赤にして、そそくさとその場を離れた。

「あら紗々川さん、ひさしぶり」
「わあ」
 書棚数棟をかきわけたところで、顔なじみの司書の女性に出会った。
「どしたの?」
「い、いえ、なんでも」
 少し訝しんで、司書は百科事典数冊をかかえながら紗々川を見上げる。
「背、のびた?」
「は?」
 紗々川がきょとんとするのを確認すると、司書はくったくない笑みを浮かべた。
 司書のからかい癖を思い出した紗々川は苦笑しながら、おざなりな会釈をかえす。
「そんな、シダ植物ですか。私は」
 言いながら、百科事典の半分を受け取ろうとするが、表情をくずしたまま司書は手で制した。
「あはは、これくらい大丈夫。でもホント、元々背が高いからかな。伸びたように見えたよ」
 人気のない館内に笑い声を響かせ、「ゆっくりしてってねー」と捨てぜりふを残すとさっさと階段を昇っていってしまった。
 まるで自分の家のような扱いである。
 紗々川は陽気な司書を見送って、一息つく。

「失礼」
 背後から声がした。どうやら通路をふさいでしまっていたらしい。今度は落ち着いて対処する。
「ごめんなさ…」
 振り返って、思わず言葉を詰まらせる。
 ショートカットの子だ。
 当の本人は、紗々川のリアクションを気にも止めずに、まっすぐ出口へ向かう。その足取りはしっかりしているが、何かにひっぱられているような、魂が身体の一歩前を歩いているような心許なさを感じさせる姿だった。
 一瞬、不信に思ったが、前の出来事を合わせると、納得できないでもない。紗々川は気にしないことにして、再び閲覧席に向かった。

 件の席には先ほどの少女がまだ座っていた。
 気にせず隣の席へ向かう。

「となり、いいかな?」
 声をかけられた少女は、ゆっくりとした動作で振り返り、どうぞ、と言うと紗々川に微笑んだ。
 制服は二年生のものだ。色白な整った顔立ちに、肩までのびた赤みがかった髪が似合っている。日頃丁寧にブラッシングされているだろう緩やかなウェーブが、春の日差しに輝いている。
 一瞬見とれてから、同じように伸ばしてはいるが、手入れもロクにしていないボサボサな自分の髪を思い出して苦笑する。
「あなたが紗々川栄子さんね」
「え、ええ」
 うわずった声で返事してしまった。つい先ほどの光景を意識してしまう。
「…かしいわ」
「え?」
 紗々川は聞き直した。彼女の言葉が聞き取れなかったからだ。でも、当の少女はきょとんとしている。
 空耳か。
 突っ立っているのも妙なので、横向きに腰掛けた紗々川は質問を変えた。
「ごめんなさい。どこかで会ったかな?」
 やはり、ゆっくりした動作で少女は身体の向きを変えて、紗々川と膝を合わす。
「いいえ、今、司書の人の声を聞いたから…」
「?」
「お噂はかねがね。…そう、3月の終業式の事とか」
 そう言ってクスリと笑う。
 紗々川は苦笑で返した。あまり思い出したくない出来事だからだ。
「あの三人をやり込めてしまうなんて、すごいね」
 感心した口調で少女が言う。

 少なからず、紗々川はイジメにあっていた。終始無視していた彼女であったが、たまにはキレておかないと相手はつけあがるだけだ。
 紗々川は苦笑したまま返す。
「少し腹立たしかっただけ。だって、あの子たち、まるで…」

 自分たちより優れた者なんて去ない、とでも言いたげな。

 黙り込んでうつむく紗々川の顔を少女がのぞき込む。
「ん?」
 あわてた紗々川は曖昧な笑みを返した。
「ボロを出したのは向こうよ。そこをチクチク言っただけ。…結局泣かしちゃったけど」
「へぇ、そうなんだ」
 紗々川は怪訝な表情になる。あの現場にいたのであれば、事の顛末は知っているはずだ。
「ごめんなさい。私半年ほど休学していて、このあいだ復学したばかりなの。あなたの噂は本当に聞いただけ」
「ああ、なるほどね。まぁ、あやまることでもないけどね」
 紗々川は少女の手元に山積みされた辞書やテキストに視線を向ける。
「それで、遅れを取り戻すために勉強中、と」

「そんなところ。あなたは…」
 紗々川の机に目をやる。
「新聞?」
「ええ、ちょっと…ね」
 言いながら、フレームで背中をはさまれた新聞数部を机に置いて、備え付けのノートパソコンの電源を入れる。

 自分の事を話したり、相手の事を訊ねてみたり、紗々川は思いのほか自分が饒舌になっているのに驚いた。
 先ほどの司書と初めて出会った時も同じように感じたのを思い出す。
 何一つ準備もなく、話が出来る人たち。
 自分にとって図書館とは、そういう場所なのだ。
 紗々川は漠然と納得した。

 画面にユーザー名とパスワードを入力するウィンドウが表示されるのを見て、紗々川は大事なことを思い出した。
「あ、名前、聞いていいかな?」
「ごめんなさい。私の名前は吾妻のぞみ」
「あがつまさん、ね。私は…」
 少し言い淀む。
「私ってそんなに有名?」
 一転して吾妻の表情が真剣になった。
「ええ、かなり」
 二人の笑い声が館内に響いた。

 
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