---- 夜
首筋が疼く。というのだろうか。
どう表現してよいのかわからない。
他人の手でも、ましてや自分の手でもない、何かに触れられているような感覚。否、触れられているというのは適切でない気がする。
風に撫でられている。
これも、ふさわくない。
吾妻と分かれてから、ずっと続いている不思議な感覚。
寮に戻って、シャワーを浴びても、ぬぐい去る事はできなかった。
夜着に着替えて、ベッドに腰掛ける。
ちょうど夕食の時間だったが、紗々川は立つ気がしなかった。春休み中であるから、寮にはほとんど生徒はいない。ならば自分の部屋に居るのとなんら変わりない。
あちこち出歩いたせいで、身体は疲労を訴えているし、かなり非日常的な体験の連続で気力も萎えていた。 |
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うってかわって、気分は異常に高揚しているので、なにかすべきなのは分かるが、何をすべきなのか整理がつかない、ガチャガチャした気分を味わっていた。
心と身体がバラバラだ。
吹っ切るかのように短く唸ると、紗々川はベッドに横たわった。
夜が世界を浸食しはじめる逢魔ヶ時。
部屋にある唯一の大窓の向こうはすでに濃紺の空が広がり、傷跡のような月が、暗い部屋をほのかに照らしていた。
紗々川はぼうっと眺めていた。
艶やかな薄桃色の花びらと不気味な曲線を描く枝葉。
その袂にソレはいる。四方にのびた枝葉のせいで、その姿は影でしかない。
風はなく、校庭にまかれた打ち水が夕暮れ時の今になって、むわりとした空気を漂わせる。
朧気な影は、少女の姿に見えなくもない。
「血と命は同義だって。そう思わない?」
少女はいつしか目の前に立っていて、赤みがかった髪が、潤んだ大きな瞳が、はっきりと解る。
桜の袂には別の少女が座っていた。
糸の切れた操り人形のように、だらりとしている。
紗々川には、顔が見えなくても誰なのかわかった。
「あれは死んでいるのよ」
セーラー服を真紅に染め、なおも流れ出す鮮血は地に染み出し、ゆっくりと広がって、紗々川の足下に及ぼうとしている。
ふと、幹にしなだれかかった少女に視線を戻す。気配がしたのだ。
やはり、少女は顔を上げようとしていた。日本人形のような清楚な顔立ち。
写真と同じだ。
いや、一カ所だけ違う。喉元が一文字に裂けて、肉と骨が露になっていている。そこだけが痛々しかった。
それでも少女はこちらを見つめ、ゆっくり口を開いた。
「懐かしいわ」
紗々川は暗闇に目を覚ました。
いつのまにか眠っていたらしい。
首筋に手をあてる。まだ疼いている。
ベッドから出ることもせず、しばしぼうっとする。
気のせいだと思っていた吾妻の声を思い出す。
彼女には、やはり会っている。それもずうっと昔に。
時刻は深夜2時を過ぎていた。消灯時間は午後9時なのだが、かまわず紗々川は部屋を出た。
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