第2話 眠らせ姫

 県警本部棟駐車場から放き出された赤いオープンカーは、市内の渋滞を避けながらほどなく国道3号線に乗り継いだ。
 ハンドルを握る田中は、主要幹線道路でありながらも、スムーズに流れる福岡市内の交通事情を賞賛しながら、コスワースのV4エンジンをいつもより強めにふかしながら、南下していく。
「いや〜、わたしゃ東京の人間なんですが、最近はしばらく大阪にいたんですよ」
 言いながら、シフトダウン。タコメーターを一気にレッドゾーンまで持っていくと前を走っている10tトラック3m手前につける。車線変更と同時にシフトアップ、瞬時に時速120オーバーまで駆け上がる。助手席の神楽坂は両手両足をめいっぱいふんばりながら、視界の片隅にあるサイドミラー越しに、みるみる小さくなってゆく10tトラックの姿を確認した。
「あそこは年中無休で交通渋滞やっててですね、も〜、ストレスが溜まって、たまって」
 その後も、道路上のパイロンを次々とパスしながら、御堂筋線を対面通行にしたらどうかとか、なんたらジャンクションの構造は不便だとか、話題は大阪市内の交通事情への愚痴に変わっていた。
「じゃ、ずっと大阪で探してたんッスか?」
 赤信号で停車して、ようやく神楽坂は口を開いた。その顔色は少し青くなっているのが分かる。
「あ、そうそう忘れるところでしたよ」
 神楽坂の言葉に何か思い出した田中は、言いながら肩から下げたホルスターから携帯電話を取り出す。田中が短縮番号を入力している間にも、信号は青に変わり、コンマ3秒遅れて赤いオープンカーがロケットスタートを切る。
 しばらくして、
「もしもし?有栖川一佐ですか?ど〜も、何でも屋の田中です。お久しゅうございます〜」
 その後、一昔前の大阪商人のような、さしさわりない世間話を交わす。そんな状態でも、先程とかわらず路上のパイロンを躱してゆく。気のせいかコーナリングの切れが良くなっている感すらある。

 田中の言葉の所々に出てくる特殊な階級名を耳にして、相手が自衛隊関係者であることは、その方面に詳しくない神楽坂にも解った。
「…で、市内に駐屯してる、おたくの歩兵連隊、2個ほど貸していただきたいんですが」
「な、なんの話してるんですか!」
 妙な不安感におそわれた神楽坂はたまらず口を出した。
「え?市内に戒厳令を引くとあっちゃ、警察だけじゃ足らないでしょ?」
 少し携帯電話を離して、さも当然のごとく答える田中。ちなみに現行の日本国憲法には戒厳令という言葉は存在しない。
「さいわい、市内に駐屯地もありますから、そこからお借りしようかなって。…効率良いでしょ?」
 くったくない笑みを見せながら携帯の相手に話を戻そうとする田中に神楽坂は執拗に食いついた。
「じゃあ、祭は?」
「この場合しかたないでしょう。今年はあきらめるか、ああ、一週間もあれば片はつくでしょうから、その後でも…」
「ゆるさーん!」
「わあ!」
 一吠えした神楽坂は携帯電話に飛びついた。「公道用ゴーカート」の異名をとる田中所有の赤いオープンカー、ケーターハム・スーパー7は走行性能のみに特化して設計され、その車内は軽自動車のそれよりも狭い。
 田中のコントロールを失ったスーパー7は、追い越し車線からほぼ直角に歩道の路肩へ乗り上げると、片輪走行のまま急ターンして中央分離帯を飛び越え、反対車線の4駆やセダンの目の前をつっきり、脇道に飛び込んだ。
 ちょうどそこは例の西鉄大橋駅へ通じる道で、田中が向かおうとした現場とは鉄道路線をまたいで反対側ということになる。パチンコ店や、居酒屋、服飾店でにぎわう街中をしばし迷走したスーパー7は全ての車輪をロックさせ、白煙と黒いゴム跡を路面に残しながら、悲鳴を上げてようやく停車した。
 そしてしばし沈黙。
「だれか跳ね飛ばしたりしてませんか?」
 あいかわらずの飄々とした口調であったが、さすがに笑顔は引きつっていた。その視線の先には携帯をつかんだまま身構える神楽坂の姿があった。

「あなたは祭の怖さをわかってない」
 臨戦態勢を急に解いて神妙な表情になった神楽坂曰く、
「博多どんたく」とは820年前からある「博多松囃子」を源流とした祭事であるが、現在の原形は戦後復興の足がかりとして、挨拶回りを名目に年に一度「無礼講」の場を作ろう、という毛色が濃い。
 つまり、「祭」という具体的な対象を作って日頃のうっぷんを晴らそうというのである。そのため、市民が「博多どんたく」へつぎ込む情熱というのは、社会的利害を超越したもので、今その対象を失うということは、その熱気の矛先を失うということであり、予想は付かないが極めて危険な状態に陥る可能性が高い。
「しかも、今年は博多港開港100周年とか市制施行110周年やら商工会議所創立120周年とかと重なってて、例年以上の盛り上がりを見せてるし、ゴールデンウィークと重なってるのはいつものことですが、コッチでチェックしてる観客動員数もすでに昨年の5割増しの数字が出てます」
 田中は神楽坂の言葉を腕組みながらに聞き入っていた。
「なるほど群集心理、侮りがたしってカンジですね。
 …よござんす。自衛隊出動の件はとりあえず保留にしときましょう」
 その言葉に神楽坂の表情が明るくなった。
「ありがとうございます!」
 緊張の解けた神楽坂はそのまま言葉を続けた。
「祭を無事に完遂することはオレたちの悲願でもありますからね。…見知らぬ人たちが、ほんのひととき世間体とか小さな損得を忘れて狂喜する。無秩序でいて、でも祭に対する一体感ってゆ〜か…」
「好きなんですねぇ。お祭りが」
 受け取った携帯電話をホルスターに戻しながら、正直な感想をもらす田中に向かって、羽織の似合う青年は快活な笑みを見せた。
「ハイ!だから、中止になるって聞いた時はもう、どうなることかと」
「私もどうなることかってハラハラしましたよ」
 そう皮肉った笑みで応えた田中は、ようやく周囲の異常に気が付いた。

「…にしても」
 神楽坂も気づいたのか「これは」と言葉を洩らす。
 時刻は夕方5時をすぎようとしていた。陽はかなり傾き、オレンジ色の日差しが街路樹や電柱に長い影を落とす。この時間ともなると、どこの駅前も買い物客などでごったがえすのが常である。
 ましてや、突然暴走ぎみに突っ込んできて、なおかつけたたましいブレーキ音を発するという派手な登場にもかかわらず、周囲には野次馬一人見当たらない。それどころか商店街とおぼしき街道全体に人影が一切見受けられない。
「あ、オレも行きます」
 あわててドアをまたいで車を降りた神楽坂は、さっさと歩道を進んで行く田中に駆け寄った。近づいてわかったことだが、田中の右手には、鈍く光る鉄の塊が握られていた。
「銃、ですか」
 神楽坂は改めて田中という人物が本来、自分とは異なる世界の住人であることを認識した。
「ああ、コレね。ゴムスタンですよ」
 気づいた田中は鉄の塊を神楽坂の目の前で振って見せた。小粒ながらも、弾頭を中心に強化ゴム製の弾身を二股に展開させ、対象物に打撃を与える対デモ鎮圧用に開発された12ミリゴムスタン弾用にベレッタF92を無理矢理改造したソレはバレルから上が総取り替えされているため、原型を留めていない。
「ヤツは生け捕りにしないと駄目なんでね」
 そう付け加えると、突然腰を低くかまえた田中は近くのラーメン屋に駆け寄った。
 赤地に白で「金龍」と染め抜かれたのれんが揺れている。福岡在住の関西人にすこぶる人気な、とんこつラーメンを食べさせる店だ。手動の引き戸が開け放たれたままになっている。
 あわてて駆け寄った神楽坂が何か言おうとした時には、すでに田中は店内に突入していた。あれだけの騒音を撒き散らした後に、まともなストーキングもへったくれもあったものではないことを承知しているからだ。

 入り口すぐとなりのキャッシャーに店員とおぼしき若い男性が大の字で寝転がっている。千円札数十枚にまみれたその寝顔は幸せそうだ。
 特性スープの豊潤な香りの中、ゆっくりと田中は店内を進んで行く。それに付き添う神楽坂は非日常的な光景に言葉がない。
 小さな厨房と、5〜6人で満席になるカウンター、4人掛けテーブルが3つと、手狭な店内は田中の予想したとおりの有り様になっていた。
 赤ペンを転がし、競馬新聞と添い寝しているムサい男連れ2人、カウンターにはサラリーマン風の男性が今にも椅子から滑り落ちそうなあやうい体制で熟睡している。
 さらにその奥ではしっかり床で横になっている女性客の姿があった。テーブルには、まだ麺の残っている器が残され、そのフチにきれいに割り箸がそろえて置かれている。
「!」
 床の上の女性客と、そろえられた割り箸との不自然さに気づいて、あわてて振り返る田中と、キャッシャー横のトイレから盛大な水音とともにドアが開けられたのはほぼ同時だった。

 真っ黒に日焼けしたたくましい肉体にジャストフィットした競泳用ビキニパンツ。爪楊枝で奥歯を掃除しながら、ソイツは上機嫌で現われた。
「山下ぁー!」
 田中は咆哮を上げた。
 内閣調査室とは、超法規的権限を持った内閣直轄の諜報機関を指す。その存在は他国の諜報機関よろしく、公にはされていない。また、それらの権限を行使するに足りうる職員の教育がなされているのは他国のそれと同様である。
 田中は一時の感情の奔流を押さえ、的確に目標を処理しようとした。SSとの距離は5メートルもない。スラッグ弾には及ばないにしろ、この距離からの直撃では一たまりもないはずだ。事は数秒で片がついただろう。
 田中が突き出した腕に押し出された神楽坂が、二人の間に踊り出なければ。
 神楽坂はその場で凍り付いた。目の前の変態ちっくな男ではなく、どちらかといえば、背中に付きつけられた銃のせいである。
 そのため、振り返ることもままならず、見えざる力によって固定された視線は自ずと海パン男に向いていた。
 両手を腰にあて、心持ち胸板を誇張した姿勢で海パン男は仁王立ちしている。そしてその顔には、日焼けした肌と対照的に白い歯が張り付いていた。爪楊枝を挿したまま快活に笑みを浮かべている。
 瞬間、神楽坂の視界は真っ白になった。

 講義明けの昼下がり、階下に聞こえる喧燥がそのまま子守り歌に変わり、背中のコンクリートからじわりとにじんでくる温かさが空ろな眠気をさそう。
 それでいて、目の前に広がる真っ青な高い空をボゥっと眺めて、まどろみと覚醒の狭間をたゆたう。
「ずっとこんなカンジならいいのになぁ」
 ふと呟く神楽坂の頬を暖かい風がなでる。なにか囁かれた気がした。
「ああ、いいのか。このままで」
 頭の下に腕を組んで、肩の力を抜く。まどろみが、地面に身体を溶け込ませるような感覚。
「もう、備品の納期とか気にしなくていいんだよなぁ〜」
 今度は声に出してみる。
「備品!?」
 神楽坂は跳ね起きた。みるみる意識が覚醒してゆく。
「カーッ!本部席のマイク、数足らないんだった!
 ああ!パンフの増刷忘れてたぁ!」

「起きろー!」

 神楽坂が目を見開くのと、その鼻に田中の中指と人差し指がツッこまれたのはほぼ同時だった。
「イデデデデデッ!」
 下方からすくいあげられるように鼻の両穴をふさいだ指は、止まるところを知らず、さらに突き上げようとする。すでに悶絶して声も出ない神楽坂の瞳からは涙が止めど無くあふれ、指と鼻の隙間からは鮮血がしたたっていた。

「もう、およしなさい」

 突然の女性の声に田中の動きが止まった。元来、人に指図されてその意図も理解せぬまま従う性質でない田中は、当然指は抜かないでいた。そのまま声の方向に目を向ける。
 さっきまで仁王立ちして、異様な空気を撒き散らしていた海パン男が背中を向けている。女性の声はその向こう、入り口の方から聞こえたようだ。
「さぁ、もう帰りましょう」
 姿の見えない声の主が続ける。どうやら、田中の行為に向けられた言葉ではなかったようだ。
 今が好機だ。
 海パン男はこちらに背を見せ、なおかつ女性の言葉に動揺しているように見える。田中は指を差し込んだまま神楽坂を払いのけると、左手に握られる銃の引き金を引いた。
 3点バーストを一斉射。鈍い発射音が3度鳴り響き、狭い店内に火薬の匂いが広がった。
 対デモ用とはいえ、打ち所が悪ければ骨折、へたすれば内臓破裂を引き起こす凶悪な弾丸を3発も受けて、それでも海パン男は崩れる事がなかった。それどころかゆっくり田中に向き直ると、白い歯を見せて笑う。
 刹那、海パン男の姿が消えた。と同時に頭上で轟音が鳴り響き、とっさに身を伏せていた田中の上に木片やらコンクリの残骸がパラパラと落ちてきた。

「うわぉう♪」
 立ち上がった田中はレイバンのフレームを正しながら、天井にぽっかり開いた穴に感嘆の声を上げた。かたわらには顔面を両手で覆ってうずくまる神楽坂の姿があった。

「彼の認識を改める必要がありそうですねぇ。まさに怪人だ」
「睡眠とは、肉体の疲労回復機能もありますが、本来は活動期に脳が蓄積した情報を記憶野に整理したり、不必要な記憶を希薄にしたり、いわゆる精神のメンテナンスが主な役割です」
 声の主は赤ののれんをくぐると、足元に転がる天井の残骸をゆるゆるすりぬけながら店内に入ってきた。
 藤色のワンピースに同じ色のカチューシャで沐浴の後のようなつややかな髪をまとめた少女。色白で細い手足は、つまづけば壊れてしまいそうな繊細な印象を与える。
 それとは逆に張りのある声音から紡ぎ出される言葉は理路整然としていて容姿とは好対照だ。

「ですから、睡眠中の肉体は脳の支配、あるいは理性による制約から開放されるのです。
 制約の無くなった肉体は常体のステータスの3倍をはるかに上回り、それは単純に筋力の増強などだけにおよばず、新陳代謝の促進、外界の変化への耐性、例えば、転んでも怪我をしにくくなりますし、蚊にかまれてもカユくなりません。風邪も引きません。」
「それが、今の彼の状態なんですね。
 じゃあ、彼は眠っているんですか?」
 田中は突然現われた少女に、まったく自然に質問を投げかけた。
「睡眠という定義は実は曖昧なのです。先程申しましたように睡眠と精神は深く関連があります。現代科学において、精神の解明は成されていませんから、自然、睡眠という行為もよくわからないのです。」
 少女はテーブル席に腰を落ち着けて説明を続ける。少しタレ目がちで温厚なその表情に笑みがうかんでいる。
「広義で言えば彼は睡眠状態にあります。しかし特異な精神状態にあります。
 私はこのような精神状態を『自己暗示型こびとさん召喚状態』と呼んでいます」
「キ、君はいったい、何者なんだ?」
 うずくまりながら話を聞いていた神楽坂が突如、真剣な表情で跳ね起きた。両の鼻腔にはティッシュの塊を詰められている。
「…」
 いきなり詰め寄られて一瞬目を丸くすると、少女はおもむろに右手を口元にあてた。
「ぷっ」
「笑うな!」
「MIT生体物理学科 静原香織教授だ」
「きょ、教授!?」
 そう唸りながら振り向いた神楽坂を見て、田中も右手を口元にあてた。
「ぷっ」
「こんななったのは誰のせいだと思ってるんですかっ!」
「いや、あれは神楽坂クンを助けようと思ったんですよ?」
「んなことされなくても、アレくらいどうってことありません!」
「それですっ」
 静原教授は立ち上がった。どうみつくろっても高校生くらいにしか見えない容姿に、異様な輝きを宿した瞳が対照的だ。

「なぜあなた方は彼の低周波に耐えられるのですか?」
「低周波って、あの肩こりが直ったりする?」
「低周波には生物への精神安定効果があります」
 潤んだ瞳はさらに輝きを増す。新しい玩具を見つけた子供のように。
「それに、あの音階は視床下部に直接はたらいて、問答無用で脳を安定状態に落ち着かせ、安らかな眠りに導きます。例え聴覚に障害がある場合でも、彼の強力な低周波は対象の骨格を振動させ、半径60m内であれば、なんぴとたりとも起きていることを許しません。いいえ、人々は安らぎを求めているのです」
「なんか無茶苦茶なこと言ってませんか。彼女」
 徐々に妄想モードに移行しつつある静原教授に田中の言葉は聞こえない。
「核家族化の進行やメディアの多様化で直接的なコミュニケーションが希薄になって、どんどん人同士のヨコの繋がりがなくなって、自分の味方になってくれる人、…そう、自分を理解してくれる人が減っています。
 結果、だれにでも解るように自己を主張しなければならなくなり、それは明確な基準をもって人を評価する、という考えに発展します。受験戦争や組織内での昇進といった現代の競争社会という形はそれらの考えから生まれた必然であったわけです。
 万人にわかる基準とは、自分にカスタマイズされたものではありませんから、その歪みから生まれるストレスは多様を極めます。ストレス社会と呼ばれるのもそこに原因があります。
 でも、そのストレスは蓄積されても解消されることはない。なぜなら、自分を理解してくれる人が希薄だからです。では、外部から解消する術の無いストレスをどうやって発散させれば良いのか?」
 両手を胸に合わせた静原教授は自身の問いに答えた。空を見つめるその瞳はすでに焦点があっていなかった。
「睡眠。それは安らかなひととき。
 そう、俗世間のしがらみを忘れ、ただ夢幻の中をたゆたう。…ああ、なんて素晴らしいんでしょう。
 時間に突きつかれて働いている今の人々にとって必要なことと思いませんか?」
「センセー質問、『音階』ってなんですか?」
 そう言って手を上げる神楽坂に、静原教授は我に返り「それは」とだけ言うと、ふるふると首を振って、真顔に戻って、
「いいえ、今重要なのは、あなた方がなぜ眠らなかったかです」
 と、田中を指差した。
「私は職業がらテロ屋の張り込みやら、保護した証人を警護したり、あげく付き合い麻雀とか、寝てはいけない仕事が多くてですね」
 聞きながら、静原教授は独り言をつぶやいて何度かうなづくと、今度は神楽坂に顔を向けた。
「あなたは?」
「お、オレ?」
 俯いてしばし考え込んだ神楽坂は、苦笑まじりに顔を上げて頭を掻いた。
「いやー。オレ別に寝たくないから」
 傍らに生っ粋の関西人がいたなら、確実にツッこみの対象となる凡庸な返答に、静原教授は眉を寄せてさらに質問を続けた。
「では、こちらの方のように訓練をうけているわけではありませんね?」
「…訓練」と苦笑しながら呟く田中を傍らに神楽坂は答える。
「どっちかっていうと、どこでも寝れる方ですね」
「興味深いです」
 いつの間にか教授は神楽坂の手を取っている。
「うちのラボに来ませんか?」
 突然手を握られて上目遣いで少女に迫られた神楽坂は頬を赤く染めて一瞬硬直してしまった。
「い、いや。大学も行かないといけないし…なにより、祭りがあるから」
「…そうですか」
 落胆してうつむいた静原教授の瞳には、特定の科学者が持つ輝きがふつふつと宿っていた。
「大筋わかりました」
 唐突に話に割って入った田中はそう言って静原教授に顔を向けた。
「あなたは、今回の一連の事件の首謀者候補としてリストアップされていたのですが、どうやら確定のようですね」
 今までと違う田中の口調に表情を強張らせたのは神楽坂だった。静原教授本人はいたって平然と田中の前に歩み出る。
「そうです。彼を…あなた方がSSと呼んでいる彼を生み出したのは私です」