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第3話 決戦は月曜日
神楽坂は跳ね起きた。 …のは本人の意思だけで、身体はそうはいかなかった。というのも、自分が寝かされているであろう台座にしっかりと固定されているからだ。 妙な金属と皮で出来たそれは、台座との継ぎ目が無く、しっかりと神楽坂の腰を縛りつけている。しばしガチャガチャといじってみたものの、それはまったくの徒労に終わった。 「おはようございます」 だしぬけに挨拶されて、振り返ると傍らに静原佳織教授の姿があった。ラーメン屋で出会った時と違い、真っ白な研究衣をまとっている。 そして、ようやく周囲を見回す余裕のできた神楽坂は、同時に自分が新たな危機的状況にあることを認識した。 使用意図不明なステンレス製の機器、全面タイル張りの無気質な壁、そして自分を照らす六つ目の手術灯。…手術?そう、ここはNHKの某TVドラマや、ドキュメントなどに登場する手術室そのものなのだ。 「い、いや。大学も行かないといけないし…なにより、祭りがあるから」 今が昼なのか夜なのかはっきりとしない、時間の流れが止まってしまったかのような空間で、あの時の言葉だけが脳裏に浮かぶ。こんな状況に陥る引き金だったような気がする。 否、なにより今が本当に危ない状況なのだろうか?なにか理由があっての事ではないのか?でも、自分が拘束されているのは確かであるし。でも、もしかして、自分がなにかの疾病に侵されていたりして、仕方なく縛り付けられているのではなかろうか? 「体調はいかがですか?」 パニックぎみに思考を無限ループさせていた神楽坂は再び声をかけられて、改めて静原教授の顔を見た。 くったくのない笑み、元々柔和なその表情が、これでもかといわんばかりに破顔している。 神楽坂は違和感をおぼえた。社交辞令としての大人のものとも違う、ましてやいたわりのソレとも異なる、純真無垢な笑み。例えれば、そう、新しいおもちゃを見つけた子供、というのが一番近いかもしれない。 好ましくない状況にあることを彼はその表情から確信した。 このまま彼女のペースに乗ってはいけない。彼の本能が警鐘を鳴らす。 「す、すこぶる良好だよ。それよりここはどこ?」 そう、会話のイニシアチブをとって時間を稼ごう。焦る神楽坂にはその程度の対処しかうかばなかった。 「ここは私のセーフハウスです」 「なんで、一大学教授がそんなスパイめいたモノを…」 「結構便利なんですよ。私の研究を軍事利用したがる諜報機関とか実験手法に文句がある過激派人権擁護団体とか対学派から身を隠すためです」 「諜報機関うんぬんは分かるとして、人権擁護団体って…」 「さぁ?私もよくわからないのですが…被験者の扱いが道徳的でないとか、どうとか」 可愛く小首を傾げると静原教授はニコっと笑った。 「ご自分で確認してみてください」 「わー!待て、まって!」 にじり寄る静原教授を制止しようと、仰向けのまま、なんとか自由の利く両手を振るが、それは無意味に空をきるだけだった。 「科学の進歩のためです。だいじょうぶ、痛いのは最初だけです。安心してください」 悪魔の微笑をうかべている彼女の右手には妙な色の液体が入った注射器が握られている。 「ウソだー!」 神楽坂は自分が思っているほど会話が得手ではなかった。 福岡県警本部棟第3会議室。本来の豪奢な装飾は一切取り払われ、そこは大量のモノと人と喧噪で埋め尽くされていた。 皆一様に黒いスーツ姿の男たちが20〜30名、せわしなく室内を往来し、あるものは端末を操作しながら、またあるものは怪しげなモニターの背面板を開きながら、少し離れると聞き取れない口調でみな何か話をしており、その雑音がさざなみのように喧噪となって室内を満たしている。 「いえ、ご厚意はありがたいのですが、今回の実目標は小さいですから」 室内唯一の女性であるせいか、その声だけははっきりと聞こえた。会議室中央に立つ彼女は周囲の男たちに身振り手振りで指示を飛ばしながら、携帯電話と格闘している。 「ええ、通常の人間と同じです。そんな40M超のロボットで追い回してどうしようってんですか?」 肩上でばっさり切ったやや硬めの髪をかき上げながら、彼女は電話の相手に2、3度やりとりをすると、できるだけ丁寧な口調で挨拶を交わし、携帯電話のスイッチを切った。 「まったく、富士の研究所とか箱根の特務とかどうやって嗅ぎつけてくるのかしら?だいたい、原子炉かかえた巨大ロボットやら3分で暴走する決戦兵器なんて持ち出してどうしろってのよ?」 鳴り続ける携帯電話や専用回線を一通り片づけて、おもわず愚痴る彼女に向かって黒スーツの一人が駆け寄ってきた。 「草薙さん!」 そう声をかけると黒いPDAを手渡す。ディスプレイの片隅にJSDFのロゴがある。 「なに?特自の二足歩行兵器?」 草薙と呼ばれた黒スーツの女性は、しばしディスプレイを凝視して、「…いいかも」などと一人思索にふけりはじめた。それを見届けた先ほどの黒スーツは本来の仕事に戻ろうときびすをかえす。 「君!」 厳しめの口調で呼び止められ、黒スーツはあわてて振り返った。 「『草薙さん』、じゃないでしょう?」 黒スーツは小首を傾げてしまった。目の前の女性は本来の自分の上司の副官だ。下の名前は忘れたが、「草薙」という名字も間違っていない。いったいどこがおかしかったのか。 困惑気味な黒スーツを見てニヤリと笑う草薙は人差し指をチッチッと振りながら言った。当然、カメラ目線である。 「これからは少佐って呼びなさい」 「なにが『少佐』ですか。ここは軍隊じゃありません」 「あ痛っ」 小突かれた後頭部をさすりながら、振り返ろうとする草薙を横目に、田中は彼女の手元からPDAをすり抜いた。ディスプレイを一瞥する。 「今回は警備がメインです。こんな、長時間運用したら搭乗者に精神障害起こさせるようなものは使えません」 「しかし、生身の人間ではアノ低周波には耐えられませんよ?」 執拗に食ってかかってくる草薙を無視して田中は窓に目を向けた。 すでにとばりは降りて、乱立する高層ビル群のきらびやかな照明が地上を昼間のように照らしている。田中はそれをぼうっと眺めながらPDAの蓋を閉めた。 「だいたい、今でも大変なのに、これ以上大風呂敷広げて誰がまとめるんですか?それに弱小個人サイトとはいえ、創作系を詠っているんですから、先ほどのネームはギリギリです。ここが限界ですよ」 「誰に言ってるんですか、それは」 言われて田中は草薙に向き直ると、喜怒哀楽どれとも判別できない複雑な表情を見せた。 「いえ、そんなことより、田中さん、結局二人は捕獲できなかったんですね」 「いや、神楽坂クンは巻き込まれただけですよ」 以外に弱気を見せる田中に草薙はここぞとばかりに皮肉めいた笑みを見せた。 「じゃあ、田中さんともあろう方が年端もいかない女の子一人に振り回されたと?」 「うーん、事前調査はしていたつもりだったんですけどねぇ。外見に惑わされるようではまだまだです」 「いったい」 「まさか」 一息おいて草薙が譲り、田中は言葉を続けた。 「まさか、ナノマシンをああいう風に使うとはね」 「ナ、ナノマシン?」 神楽坂は震える両手で注射器の進行を押さえながら絞り出すように言った。 「今ではさらに縮小化が進んでますから『ピコマシン』とでも呼ばれるところでしょうけど、その呼称が定着してしまっていますね」 私はピコマシンのほうが好きなんですけど。などと呟きながら神楽坂の鼻先三寸をチラチラさせていた注射針を引き戻した。 苦し紛れに、田中からどうやって逃れたのか聞いてみたのが功を奏したようだ。思わず神楽坂は安堵の息をもらした。 「僕はあの時のことをよく覚えてないんだけど、いったい」 「たとえ、覚えていらっしゃっても、感想は変わらないと思いますよ」 そう言いながら静原教授は注射器をトレーに戻した。モルモットへの道はなんとか回避できたようだ。 「あの人、えと、田中さんでしたっけ?あの人には私たちが煙になって消えたように見えていたはずです」 「はぁ?」 困惑したような神楽坂の表情を見取って、静原教授はうれしそうに話をつづける。自分の研究を自己満足だけで完結させられる科学者は少ない。そして、ほとんどの科学者が研究成果を人に発表する喜びを知っている。 「以前、ゼミの生徒が作ったものなんです。対象者の視神経に入り込んで網膜からの情報をバイパスして、ニセの情報を脳に送ります。利用目的が不純だったので、没収したものを私が手直ししてみたんです」 「そ、そんなことまで出来るんですか?」 「ええ、でもなにぶん即席で作ったモノですから、すぐ白血球とかに見つかって排除されてしまいますけどね。精度が良ければ人体の免疫組織とも共生できて、半永久的に体内に常駐することができますし、数種類のモジュールを組み込めば、大抵のことはできます」 そこまで言うと、彼女は一息ついた。 「じゃあ、アイツも」 独り言のような神楽坂の言葉に静原教授は応えた。 「ええ、彼はとても疲れていました」 「やはり、山下さんでしたか」 「ええ、意識はほとんど感じられませんでしたがね」 田中は窓際の席を陣取って、端末を操作しており、傍らの草薙はコーヒーを差し入れたついでにディスプレイをのぞき込んでいる。 「彼女の専門は微小生体工学。主に人体を内部から観察するのが目的のようです。だから、原子レベルの極小機械なんてお手の物らしいですよ」 「結局、テロなんですか」 「さて、そこまではなんとも言えませんが、ただ」 そこで言葉を区切った田中はマウスをチクチクしながら、頭のインカムにスイッチを入れて、英語でなにか話しはじめた。 「ただ、大衆は変化を求めている。でもそれは一過性のものであるか、自分自身に影響のないものであることが条件です。」 「ゴシップとかが好きなのはそのせいですよね」 「そうかも知れませんね。つまるところ、恒久的な変化ではなく、安定の中にある刺激の一部として変化を求めているにすぎないんです。だから、本当のところ、平穏無事な生活を理想としている。彼女の言わんとしている事は、わからなくもないんですがね。」 ディスプレイに静原香織のスナップとその詳細な経歴が表示され、小窓には昼間会議室で見たSSの映像があった。 「どっちにしたって、山下さん、いえSSの行方は未だ知れず。それに発見できても対策がない」 「痛いところを突きますね」 顔をディスプレイに向けたまま苦笑した田中は、再びインカムへ英語で一言二言話すと、エンターキーを叩いた。 「でも、無いわけではありません。ちょっとアメリカの旧友に手伝ってもらったんですが」 真っ白なディスプレイに細かい英文が流れてゆく。 ダウンロードが順調に行われているのを確認した田中は、ようやく顔を草薙に向けた。 「少し前にシリコンバレイの静原教授の研究室を押さえました。ポリエチレン系保水繊維の資料とそれに織り込まれるナノマシンデヴァイスの試作機が発見されたそうです」 田中が笑みを浮かべる。それを受けて草薙も微笑みかえすと、そのまま背を向け、周囲の黒スーツたちに呼びかけた。 「陸上自衛隊福岡駐屯地に連絡!」 『SS対策準備室』であった福岡県警本部棟第3会議室が『対策本部』に昇格したのは1時間ほど後のことである。 「アレが人?!」 「そうですよ。重要な研究を行っている科学者は、大抵その国の諜報関係者に監視されているもので、彼もその一人でした。ですから、田中さんの同僚の方であると思います」 そう言うと、静原教授は少し眉をしかめて、神楽坂を見る。 「なんだと思ってらっしゃったんですか?」 「い、いや人造人間かなんかかと」 そんな神楽坂の稚気な返事を聞いて静原教授はふきだした。 「そんな、中世ではないんですから。私がマッドサイエンティストに見えますか?」 小首を傾げて可愛く笑う彼女は決して狂科学者には見えない。しかし、彼女の本性をかいま見た神楽坂は声に出さずに「そのまんまやろが!」とツッコミをいれた。 神楽坂の沈黙を否定ととったのか、それとも気にしていないのか、可愛いマッドサイエンティストは言葉を続ける。 「彼の本体は、繊維素材に織り込まれたナノマシンです。先ほど申しましたように、今は陽子レベルにまで縮小化できるので、身体と密着していれば、どこからでも進入が可能です」 そこで何かに気づいた神楽坂は跳ね起きる勢いでさけんだ。 「じゃ、じゃあアレの本体って」 当初、実験材料にされるのを必死で逃れようとしていたのも忘れて、神楽坂はすっかり話にのめり込んでいる。 「海水パンツ?!」 静原教授は満面の笑みをたたえてゆっくり頷いた。 「彼は、…たしか山下さんとおっしゃいましたが、めまぐるしく流れる日常に疲れていました」 一転させて表情を曇らせた彼女はうつむきながら、そんな事を話し始めた。 「ある時は張り込み、ある時は聞き込み、フィールドワークにデスクワーク。…でもそれは自身にイニシアティブがあるわけでなく、あずかり知らぬ所で決められた事柄に忠実に従う駒となって働くだけ。山下さんはどんどん疲れていったのです」 今度は顔を上げる。 「だから私は彼の手助けをしました。結果として、このような形になりましたが、実際、彼は今でも睡眠状態にあり、なおかつ必要最低限の栄養補給・休息をとってその生活を継続しています。私はこの結果に満足しています」 「それは間違ってる。世の中、時間に追われてる人間ばかりじゃないんだ」 神楽坂は融通の利かない体をもどかしく思いながら、説得を試みた。 「みなさんそうおっしゃいます。でもそれこそ間違いです。あなたは自分自身が一日にどれだけ時計を見ているか知っていますか?時計なしには自身のスケジュールすら立てられない人間がどれだけいるか」 それでも静原教授はゆるがない。その事のために研究を続けてきた彼女には信念のようなものがすでに出来上がっていた。付け焼き刃な理屈では微動だにしない。 「わかってる、自分が時間に追われていることも、実はそれ自体自分でつくりだしていることも。でもわかってほしいんだ。その瞬間だって貴重であるってことを」 はじめて静原教授の表情がゆがんだ。 「君にもあったハズだ。…そう、学生のころ、深夜ラジオにハマったりしなかったか?今夜もなにかあるかもしれない、なにかイベントが起こるかも知れない。そう思うと眠気すらどこかへいった。そんな経験って無いか?」 神楽坂は自身が話し下手であることを知っている。だから、素直に実体験を例に挙げた。静原教授とはおそらく同世代であるから通じるものがあるハズだ。 だが、彼は直後に後悔した。 海外留学、それもMITに入れるような人間が浪人生活を送っていたとは思えないからだ。 また失敗した。彼は先ほどの注射針を脳裏に描きながら、おずおずと静原教授の顔を見上げた。 しかし彼女は硬直していた。その瞳には神楽坂は写っていない。 まだ学生でどこかの研究室に詰めていた頃、彼女はネットワークゲームに傾倒していた。 世界中数千の人間がネット上に構築された仮想空間を共有する。研究室の端末に開かれたファンタジックな世界に彼女は寝食を忘れて没頭した。 年末年始に行われる阿鼻叫喚のロールイベント、ハロウィンの時にはその筋の天才といわれる人物とであったこと。いっしょに語らい、戦ったプレイヤーキャラクター(PC)たち。 「あぁ、なつかしい。あの時建てた祠ってまだ残ってるかしら。みんなどうしてるんだろう。SinさんとかSerraさんとか元気かな?ZoseはまだPKやってるのかな」 彼女は夢見心地で過ぎ去りし電子の世界を思い起こしていた。 神楽坂は彼女の名前を呼んだ。 「僕にとってはそれが祭なんだ。どうか助けてほしい。このままでは祭がなくなってしまう」 |